

【再掲】ネットで出会った「本物の趣味人」
ご当人のご存じないところで、全く余計なことを書く。5、6年前からフェイスブックで友人になった年上の投稿者に(今年還暦の自分より7、8年上か?)、A さんという方がいる。 この方がライフワークとしているのが、黒澤、小津、溝口の影に隠れた日本の名監督・成瀬巳喜男、亡命ドイツ人の職人的名匠・ダグラス・サーク、現代のリアルを描く英国の左翼映画作家ケン・ローチの全作品鑑賞、批評なのだが、この度、成瀬の全作批評が完成した。 成瀬巳喜男の「浮雲」「稲妻」「母」「山の音」くらいしか見ていない自分は、この方の投稿を読むことで、この日本を代表する映画監督の本領に少しは触れられたような気がする。 氏の映画解説を読み終えたあと、映画を一つ見終わった時のような感慨を覚えて、大きなため息をついたことも一度ならずあったのである。 以下、A氏が(現存する)全作品網羅を伝えるフェイスブック投稿。 https://www.facebook.com/plugins/post.php?href=https%3A%2F%2Fwww.facebook.com%2Fpermalink.php


ネットで出会った「本物の趣味人」の映画解説〜「みんな、おしゃべり!」(2025)
これは面白そう、見たい。私が思うところの 「本物の趣味人」、安藤雅人さん の懇切丁寧な解説も素晴らしい(だから見たくなったのです) https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid02CjxvofAR6YN8H82meFZx3iVR1c3URuehukVxdH5EHCXzf5dh2hdSdbDBsagWodmcl&id=100005744913943&locale=ja_JP 私は、この方の映画評を読むと、その映画をもう見終わったような充実感を感じることがよくあります。 これは、良いことなのか、悪いことなのか・・・(笑) 私が、安藤さんを一番好きなところは、これほどの趣味人でありながら、リベラル、自由人、主知主義の立場が揺るがない所である。「趣味人だからこそ」ということかもしれない。最近よくいる「勝ちたいだけ」という似非リベラルとは違うのだ。 「いいことか悪いことかわからない」と言ったのは、多くの場合、氏の解説が、懇切丁寧であるがゆえに、かなりのタネアカシ、ネタバレを含んでいるからで


ADO がFirst Take に初出演、「うっせえわ」を生で、一発勝負で歌う!
なんと新年早々、 ADOがFirst Takeで「うっせえわ」を歌っている。初出演。 驚いた。 所ジョージではないが、す・ご・い・で・す・ねえーの一言。(引退してる?所ジョージ)ホラー仕立ての演出、振り付けだが、この歌の楽曲は元々、そういう曲なんですね。ADOがピアノ伴奏で歌う「うっせええわ」のバージョンがあるのだが、自分は、それを聞いて シューベルトのホラー歌曲?「魔王」のピアノ伴奏を思い出した ものだ。 ADOの歌声がスタジオ加工の産物ではないかという中傷が時々あるが、スタジオバージョンだからもちろん加工はしているけども、 ADOの場合、ライブの方がいい、という声が圧倒的 なのである。 自分は、一般的には、ADOのスタジオバージョンの方が、安心して聞けて好きなのだが、特に印象に残る歌は、「風のゆくえ」とか「Unravel」とか、この「うっせえわ」とかのライブバージョンなのだ。 ファンになったのは、Unravelのライブバージョンを聞いてからで、この時は、歌を聞いて、久しぶりに涙が出た。 今回のライブバージョン(みたいなものだろう)も、デヴュー


ChatGPTに「聖母の御子」の原曲を訳させたら、その完成度の高さにちょっと引いた。
カタロニア民謡「聖母の御子」の原曲の歌詞をChatGPTに訳してもらった。一読して、その完成度の高さに驚かされる。以下がそれ。いくつものバージョンがあるらしいので、下で訳された歌詞が、必ずじも上の動画のものであるかはわからない。 こういうものを見せられると、 知的労働の創造性がかなり高い分野まで、AIがカバーできてしまうのでは と考えてしまう。今年、2026年から、AIの普及による「ホワイトカラーの大失業」が本格化すると何かの記事にあったが、 その影響は、我々、凡人ホワイトカラーが、今考えている以上の深さ、広がりになるのではないか? 以下、ChatGPTとのやり取り (私)原曲の歌詞を調べて日本語に訳せますか?一部はあるサイトに紹介されていて、その内容が(「聖母の御子」日本語歌詞の)3番(起承転結の転の部分)に反映されています。 以下、ChatGPTの回答 はい、原曲の代表的な歌詞とその直訳を調べてまとめられます。(※ただし民謡なので複数の異なるバージョンがあり、一定の「正解の原詞」はありませんが、以下はよく引用されるバージョンです。) Beth


【再掲】たそがれ清兵衛(2002) 〜映画感想文 ※タネアカシあり
藤沢周平原作、だが、実は「たそがれ清兵衛」よりも藤沢の別の短編「ほいと平八」を元にして脚色している。夕方になるとそそくさと家に帰る、というところだけが「たそがれ清兵衛」で(こちらは病身の妻の面倒を見るためだが)、やもめぐらしで身だしなみが整わず殿様から叱責されたり、上意討ちを命じられたり、紆余曲折の末幼馴染と結ばれたりするのは、後者のストーリーだったと思う。「ほいと平八」では映画の題名にならないので「たそがれ清兵衛」にしたのだろう。 ラストの田中泯との決闘シーンは、新しいチャンバラアクションを見せられた気がした。黒澤明が、様式化されたチャンバラをリアルな斬り合いに変えたとされているが、山田洋二も時代劇アクションに新しいスタイルを付け加えたと思う。圧倒的なスピードで瞬間に終わらせる三船敏郎の殺陣と対照的な、二人の剣の達人が延々と死闘を繰り広げ、無数の刀疵を負いながら、最後に力尽きて決着がつく「西部劇の殴り合い」タイプの時代劇アクションである。これはやはり、主役に真田広之というアクション俳優を配した事が大きいだろう。真田は、三船敏郎タイプの「瞬殺の殺


【再掲】間違えやすい映画の題名十選〜「タミオとジュリエット」「燃えよドラゴンズ」など...
1) 復習するは我にあり ※先生に復習しろといつも怒られるので、「いつか復讐してやる」と思っている小学生の話し。大藪春彦原作でも、連続殺人犯の実録映画もない。 2)10回 ※一日10回のスクワットを日課としている老人の日常を淡々と描く。海が割れる映画ではない。役所広司主演の Perfect Days にテーストが似て・・・ないかも。 3)アヘー ※谷岡ヤスジ原作の忠犬バター公の物語。ベトナム反戦ミュージカルを期待しないで欲しい。アヘアリアース、アヘアーリアース と新宿のホームレスが歌うテーマ曲が有名。 4) 大脱肛 ※痔持ちの中年男性の脱糞時の苦痛の表情を延々と映したカルト映画。ちょっと見る気になれない。マックイーンさん、ブロンソンさん、すいません。 5) 燃えよドラゴンズ ※中日ドラゴンズの応援歌。私の見ていた頃は坂東英二が歌い、出だしは、「一番高木が塁に出て」だった。あの、香港映画のフリをしたハリウッド映画のことではない。 6) オメン ※縁日で売っていたパーマンのオメンに異常な愛着を示す中年男性と、ホスト志望の浪人生のBL &...


【再掲】寅さん映画の場面転換の「音」「ノイズとしての人の声」について
小津安二郎の静物画的ピローショット 「音」といっても、特別のテクニックの事を言っているのではなく、外国の評論家の言うピローショット、平たく言えば「場面展開の絵」に載せてある音、ノイズの事。 例えば、夕暮れ、田舎町の雑貨屋の前を自転車に乗った女子学生が通りすぎる、その時、店番のお婆さんがかける「気いつけて帰りんさいよ」・・・みたいな言葉、音。おそらくロケ地の地元の人に言ってもらってる、方言混じりの、その声。 音は環境音、ノイズとして取られ、特別に強調されていない。 この「立ってない」音のさじ加減が抜群なのですね。 考えてみると、我々は、普段の生活の音を、映画やテレビみたいに、強調された特定の音として聞かないわけで、こういう人声も、数多ある生活音、ノイズの一つとして聴くのである。このさじ加減の抜群さが、今となっては懐かしい景色、光景に相まって、我々になんとも言えない感懐を呼び起こすことになる。 この種のショットを外国人が「ピローショット」などと言い始めたのは、小津安二郎が場面展開の絵を多用したからだが、小津は、ラーメン屋が吹くチャルメラの音や柱時計の


映画感想文〜「二十四の瞳」(1954年)
※2020年7月4日にある映画サイトに投稿 「二十四の瞳」(1954年) タネアカシあり この映画、終戦直後に作られたと思い込んでいたが、公開は1954年、あの「七人の侍」と同じ年である。キネマ旬報社の邦画部門では「二十四の瞳」がベストワン、「七人の侍」がなんと確か三位か四位だという・・・。たいへんな時代があったものだ。 初めて見たときは、大石先生があまりにも無力なことにイラつきましたね。結局、生徒と一緒に泣いて、家で旦那相手に愚痴ることくらいしか出来ないのですな。戦争を止めることはおろか、生徒の人生にいかなる肯定的変化も与えることができない。 今では、そういう偉そうなことを言う気は失せ、人生、こんなふうに親身になってくれる人がいれば、それで十分ではないかと。いくつもの場面で涙が出たが、やはり、ラストの同窓会。この高名なラストシーンに泣かない人はいないだろう。 「二十四の瞳」は小学唱歌でつづる、一種の音楽映画でもありますね。いろんな唱歌をじっくりと聞かせてくれる。大石先生と子供たちが入り江を舟で渡るシーンなど、ある唱歌をフルコーラス歌わせていたと


【再掲】もし映画「鉄道員(ぽっぽや)」が懐かしいドリフのコントだったら・・・
この映画、見ていて恥ずかしいような気分になり、見るのをやめそうになったが、昔懐かしドリフのコントだと思って楽しめばよかったのかもしれない。 「もし、高倉健が田舎駅の駅長だったら」 みたいにコメディの題材として、映画そっちのけで、あれこれ想像して楽しむのである。 何かミスをするたびに「不器用ですから」と言って遠い目をするとか、いきなり感情的になって「死んでもらいます」と叫び懐から算盤を出す・・・とかその類のギャグ。要は大時代な演技をする役者に小市民の役をやらせた時のギャップを笑うわけ。 最後は雪の中で死んでいるケンさんを部下が見つけて「やれやれ」という顔をした後、雪かきを続けるふりをして、高倉健駅長を再び埋めなおすのである。 傍迷惑なのですな、小市民としては、重すぎて(笑) これはケンさんのせいではなく、企画と原作が悪いのだ。 こういうコントは幾らでもできるし、考えていると楽しい。例えば、 「片岡千恵蔵がセヴンイレブンの店員だったら」(古いか!)「田中邦衛が話し方教室の先生だったら」 とか、あるいは 「西田敏行がぼったくりバーの呼び込みだったら」


【再掲】木下恵介の「陸軍」(1944年)のラストシーン ※タネアカシそのもの
木下恵介の「陸軍」。1944年の公開だから、ちょうど80年前の映画である。日本映画だし、公表から70年以上が経過しているから、チャップリン協会やディズニーがなんと言おうと、日本の法律に則りパブリックドメイン入りしたとみなす。(笑) このシーンは、戦時中、九州の連隊が実際に出征する機会を利用して撮影 された。(ここに写っている兵士の大半は戦死したのだそうだ。) しかし、陸軍の全面協力を得て制作した映画で、こういうラストシーンを作るとは! 息子の出征をあからさまに嘆いている田中絹代は、明らかに周りから浮いているのである。周りにいるのはエキストラでなく、出征兵士に歓呼の声をあげる本物の群衆のようなのだ。演出したシーンを実写と繋げた可能性はなきにしもあらずだが、おそらく、 田中絹代は、あの時代の現実の中で、ホンモノの「空気読まないやつ」 になっているのである。 この映像を見たのは随分前の事だが、「日本にこんな映画監督がいたのか」と感動した。しかし、考えてみると、この母親は何も出来ずにただただ嘆いているだけの無力の人で、これは、木下監督が戦後に作った「二十


【再掲】替え歌「蛍の光・同窓会勧酒編」〜原曲は旧友との再会を喜ぶ乾杯の歌なのだ!
替え歌「蛍の光」~同窓会勧酒編 年末のカウントダウンで流れる曲「蛍の光」、原曲は、久しぶりにあった友人にビールを勧める歌だ。以下スコットランド民謡 Auld Lang Syne の英訳とその日本語訳。日本語では「久しき昔」と訳すらしい。 Should old acquaintance be forgot, 旧友を忘れ、古き昔を and never brought to mind? 心から消し去っていいものか? Should old acquaintance be forgot, 旧友と古き昔を and auld lang syne? 忘れてしまっていいものか? For auld lang syne, my dear, 親愛なる古き昔のために for auld lang syne, ああ、古き昔のために we'll take a cup of kindness yet, 我々は親愛の一杯を傾けよう for auld lan


【再掲】私が見ていない名作映画10選
1. 雨月物語 ACTミニシアターで見始めたが、オールナイトだったので途中で寝てしまった。溝口健二の良さがわからない。「近松物語」と「西鶴一代女」は面白いとおもったが、「山椒大夫」などは傾向映画みたいだ。あれ、確か森鴎外の原作では、山椒大夫一族は生き延びてますます繁栄するのである。 2. 戦場のメリークリスマス ビートたけしが「メリークリスマス、ミスターローレンス」と言ってニッコリする顔を予告か何かで見て、ダーとなって見る気を無くした。「夜の熱気の中で」のロッド・スタイガーのラストの笑顔を見るとなおさらそう思う。プロと素人の差。 3. 総長賭博 「三島由紀夫が褒めた」という事で名作とされている任侠映画。小林信彦と脚本の笠原和夫の解説を読んで見た気になっている。ヤクザ映画は好きなので、見ていないのは、行きつけのビデオレンタルショップに偶々置いてなかったからだと思う。ビデオレンタル、そんなものが昔あったのだ。 4. 神々の深き欲望 おそらく題名に恐れをなして見なかったのだろう。近親相姦を扱った映画らしい。今村昌平の映画は、「日本昆虫記」なども見て


【再掲】ラジオドラマ「佐八のはなし」(黒澤明「赤ひげ」より
黒澤映画「赤ひげ」の「佐八とおなか」のエピソード、山崎努の語りがあまりに見事なので、音声だけ切り取ってラジオドラマにしてみた。 一種の実験・・・というかお遊びだが、 映像抜きのラジオドラマとして十分、成立している と思う。といっても、自分は映画を何度も見ているので、音を聞くと反射的に絵が浮かんてくる。もし、映画を見ていない方で、この「ラジオドラマ」を聞いた方がいれば、意見を聞かせて欲しい。背景情報なども、聞いているうちに理解できましたでしょうか? いろんな面でお金がかかった贅沢なラジオドラマである。特に感じたのは、俳優の語り口が、声優のそれよりも、聞くものの耳に自然に入ってきやすいと言うこと。プロの声優の語りも味があって好きなのだが、やはり、 デフォルメの仕方に独特の癖があり、邪魔に感じることがある 。翻訳物だと、元々が別世界の異人の話しだから気にならないのだが・・・。 俳優の声を取り出しきた場合、演技という体の動きとセットで出てくる声だから、自然に聞こえるのかもしれない。アフレコだろうと言われそうだが、 要は、俳優は、その演技、体の動きに応じた


ジョン・フォードの「ギデオンの一日」(映画感想文、批評ではない、念の為)
◇ギデオンの一日(1958年) ※タネアカシ少しあり でも鑑賞に問題はないかも YouTube に上がっていたので見てみた。なかなかいい映画ですな。西部劇の巨匠・ジョン・フォードが、スコットランドヤードの警視ギデオンの、公私にわたって多忙な一日を、悠揚迫らぬペースでユーモラスに描いている。 想像したようなリアルな警察映画では無いのだが、次々と発生する事件を淡々と処理していく、 典型的英国紳士のギデオンが、時々、感情を爆発させる、それが、ごく控えめに感動的である。 ※以下、スポイラーアラート。 精神病者に娘を殺される母親のエピソードには涙が出た。あの母親役の女優の優れた演技は、我々の周囲にいる人の良い中年女性の誰かを想起させる力があった。(私が思い浮かべたのは、自分の奥さん) だから、自らの善意が最愛の娘を殺す結果になった彼女の悲嘆が胸に迫るのである。 結局のところ、作り物にすぎない俳優の演技が、時に我々の心を打つのは、我々が現実に触れ合った人たちの何かを想起させるからだろう。少なくとも、リアリズムの演技においては、そう言えると思う。 ラストも良


不定期テレビ日記(2025年12月③)〜停戦成立!タイのパーフェクトゲームか・・・な?
2025年12月20日(土) <カンボジア軍、トンネル陣地で持ち堪える> 昨日は、全く砲声を意識せずに暮らした。スリンのタークワイ遺跡周辺(350高地)付近ではまだ激戦が続いていたよう。 カンボジア側は、同高地から遺跡に向けてトンネル網を張り巡らしていて 、これが、空爆が効を奏しにくい理由のようだ。ここでもベトナム戦争の亡霊が出てきた。カンボジアが遺跡を軍事目的で使っているのは事実のようだ。 しかし、 カンボジア軍は応援部隊が陣地に入れず、補給も寸断されて食料と水が不足 しているようだから、この高地の陥落も時間の問題ではないか。そういえば、カンボジア兵が食糧を求めて投降してきたことがニュースになっていた。村人から食事をもらい、病院で治療を受けたという。スリンのカンボジア国境はクメール系タイ人が多いので、こういう同情的な対応になるのだろう。 しかし、彼らの帰属意識がどちらにあるかというと、これははっきりとタイにあるのである。自分の住んでいるタンボンもクメール系がマジョリティなので、はっきりとそれは言える。 イサン系住民との軋轢など全くない。...










