

【再掲】間違えやすい映画の題名十選〜「タミオとジュリエット」「燃えよドラゴンズ」など...
1) 復習するは我にあり ※先生に復習しろといつも怒られるので、「いつか復讐してやる」と思っている小学生の話し。大藪春彦原作でも、連続殺人犯の実録映画もない。 2)10回 ※一日10回のスクワットを日課としている老人の日常を淡々と描く。海が割れる映画ではない。役所広司主演の Perfect Days にテーストが似て・・・ないかも。 3)アヘー ※谷岡ヤスジ原作の忠犬バター公の物語。ベトナム反戦ミュージカルを期待しないで欲しい。アヘアリアース、アヘアーリアース と新宿のホームレスが歌うテーマ曲が有名。 4) 大脱肛 ※痔持ちの中年男性の脱糞時の苦痛の表情を延々と映したカルト映画。ちょっと見る気になれない。マックイーンさん、ブロンソンさん、すいません。 5) 燃えよドラゴンズ ※中日ドラゴンズの応援歌。私の見ていた頃は坂東英二が歌い、出だしは、「一番高木が塁に出て」だった。あの、香港映画のフリをしたハリウッド映画のことではない。 6) オメン ※縁日で売っていたパーマンのオメンに異常な愛着を示す中年男性と、ホスト志望の浪人生のBL &...


【再掲】寅さん映画の場面転換の「音」「ノイズとしての人の声」について
小津安二郎の静物画的ピローショット 「音」といっても、特別のテクニックの事を言っているのではなく、外国の評論家の言うピローショット、平たく言えば「場面展開の絵」に載せてある音、ノイズの事。 例えば、夕暮れ、田舎町の雑貨屋の前を自転車に乗った女子学生が通りすぎる、その時、店番のお婆さんがかける「気いつけて帰りんさいよ」・・・みたいな言葉、音。おそらくロケ地の地元の人に言ってもらってる、方言混じりの、その声。 音は環境音、ノイズとして取られ、特別に強調されていない。 この「立ってない」音のさじ加減が抜群なのですね。 考えてみると、我々は、普段の生活の音を、映画やテレビみたいに、強調された特定の音として聞かないわけで、こういう人声も、数多ある生活音、ノイズの一つとして聴くのである。このさじ加減の抜群さが、今となっては懐かしい景色、光景に相まって、我々になんとも言えない感懐を呼び起こすことになる。 この種のショットを外国人が「ピローショット」などと言い始めたのは、小津安二郎が場面展開の絵を多用したからだが、小津は、ラーメン屋が吹くチャルメラの音や柱時計の


映画感想文〜「二十四の瞳」(1954年)
※2020年7月4日にある映画サイトに投稿 「二十四の瞳」(1954年) タネアカシあり この映画、終戦直後に作られたと思い込んでいたが、公開は1954年、あの「七人の侍」と同じ年である。キネマ旬報社の邦画部門では「二十四の瞳」がベストワン、「七人の侍」がなんと確か三位か四位だという・・・。たいへんな時代があったものだ。 初めて見たときは、大石先生があまりにも無力なことにイラつきましたね。結局、生徒と一緒に泣いて、家で旦那相手に愚痴ることくらいしか出来ないのですな。戦争を止めることはおろか、生徒の人生にいかなる肯定的変化も与えることができない。 今では、そういう偉そうなことを言う気は失せ、人生、こんなふうに親身になってくれる人がいれば、それで十分ではないかと。いくつもの場面で涙が出たが、やはり、ラストの同窓会。この高名なラストシーンに泣かない人はいないだろう。 「二十四の瞳」は小学唱歌でつづる、一種の音楽映画でもありますね。いろんな唱歌をじっくりと聞かせてくれる。大石先生と子供たちが入り江を舟で渡るシーンなど、ある唱歌をフルコーラス歌わせていたと


【再掲】もし映画「鉄道員(ぽっぽや)」が懐かしいドリフのコントだったら・・・
この映画、見ていて恥ずかしいような気分になり、見るのをやめそうになったが、昔懐かしドリフのコントだと思って楽しめばよかったのかもしれない。 「もし、高倉健が田舎駅の駅長だったら」 みたいにコメディの題材として、映画そっちのけで、あれこれ想像して楽しむのである。 何かミスをするたびに「不器用ですから」と言って遠い目をするとか、いきなり感情的になって「死んでもらいます」と叫び懐から算盤を出す・・・とかその類のギャグ。要は大時代な演技をする役者に小市民の役をやらせた時のギャップを笑うわけ。 最後は雪の中で死んでいるケンさんを部下が見つけて「やれやれ」という顔をした後、雪かきを続けるふりをして、高倉健駅長を再び埋めなおすのである。 傍迷惑なのですな、小市民としては、重すぎて(笑) これはケンさんのせいではなく、企画と原作が悪いのだ。 こういうコントは幾らでもできるし、考えていると楽しい。例えば、 「片岡千恵蔵がセヴンイレブンの店員だったら」(古いか!)「田中邦衛が話し方教室の先生だったら」 とか、あるいは 「西田敏行がぼったくりバーの呼び込みだったら」


【再掲】木下恵介の「陸軍」(1944年)のラストシーン ※タネアカシそのもの
木下恵介の「陸軍」。1944年の公開だから、ちょうど80年前の映画である。日本映画だし、公表から70年以上が経過しているから、チャップリン協会やディズニーがなんと言おうと、日本の法律に則りパブリックドメイン入りしたとみなす。(笑) このシーンは、戦時中、九州の連隊が実際に出征する機会を利用して撮影 された。(ここに写っている兵士の大半は戦死したのだそうだ。) しかし、陸軍の全面協力を得て制作した映画で、こういうラストシーンを作るとは! 息子の出征をあからさまに嘆いている田中絹代は、明らかに周りから浮いているのである。周りにいるのはエキストラでなく、出征兵士に歓呼の声をあげる本物の群衆のようなのだ。演出したシーンを実写と繋げた可能性はなきにしもあらずだが、おそらく、 田中絹代は、あの時代の現実の中で、ホンモノの「空気読まないやつ」 になっているのである。 この映像を見たのは随分前の事だが、「日本にこんな映画監督がいたのか」と感動した。しかし、考えてみると、この母親は何も出来ずにただただ嘆いているだけの無力の人で、これは、木下監督が戦後に作った「二十


【再掲】替え歌「蛍の光・同窓会勧酒編」〜原曲は旧友との再会を喜ぶ乾杯の歌なのだ!
替え歌「蛍の光」~同窓会勧酒編 年末のカウントダウンで流れる曲「蛍の光」、原曲は、久しぶりにあった友人にビールを勧める歌だ。以下スコットランド民謡 Auld Lang Syne の英訳とその日本語訳。日本語では「久しき昔」と訳すらしい。 Should old acquaintance be forgot, 旧友を忘れ、古き昔を and never brought to mind? 心から消し去っていいものか? Should old acquaintance be forgot, 旧友と古き昔を and auld lang syne? 忘れてしまっていいものか? For auld lang syne, my dear, 親愛なる古き昔のために for auld lang syne, ああ、古き昔のために we'll take a cup of kindness yet, 我々は親愛の一杯を傾けよう for auld lan


【再掲】私が見ていない名作映画10選
1. 雨月物語 ACTミニシアターで見始めたが、オールナイトだったので途中で寝てしまった。溝口健二の良さがわからない。「近松物語」と「西鶴一代女」は面白いとおもったが、「山椒大夫」などは傾向映画みたいだ。あれ、確か森鴎外の原作では、山椒大夫一族は生き延びてますます繁栄するのである。 2. 戦場のメリークリスマス ビートたけしが「メリークリスマス、ミスターローレンス」と言ってニッコリする顔を予告か何かで見て、ダーとなって見る気を無くした。「夜の熱気の中で」のロッド・スタイガーのラストの笑顔を見るとなおさらそう思う。プロと素人の差。 3. 総長賭博 「三島由紀夫が褒めた」という事で名作とされている任侠映画。小林信彦と脚本の笠原和夫の解説を読んで見た気になっている。ヤクザ映画は好きなので、見ていないのは、行きつけのビデオレンタルショップに偶々置いてなかったからだと思う。ビデオレンタル、そんなものが昔あったのだ。 4. 神々の深き欲望 おそらく題名に恐れをなして見なかったのだろう。近親相姦を扱った映画らしい。今村昌平の映画は、「日本昆虫記」なども見て


【再掲】ラジオドラマ「佐八のはなし」(黒澤明「赤ひげ」より
黒澤映画「赤ひげ」の「佐八とおなか」のエピソード、山崎努の語りがあまりに見事なので、音声だけ切り取ってラジオドラマにしてみた。 一種の実験・・・というかお遊びだが、 映像抜きのラジオドラマとして十分、成立している と思う。といっても、自分は映画を何度も見ているので、音を聞くと反射的に絵が浮かんてくる。もし、映画を見ていない方で、この「ラジオドラマ」を聞いた方がいれば、意見を聞かせて欲しい。背景情報なども、聞いているうちに理解できましたでしょうか? いろんな面でお金がかかった贅沢なラジオドラマである。特に感じたのは、俳優の語り口が、声優のそれよりも、聞くものの耳に自然に入ってきやすいと言うこと。プロの声優の語りも味があって好きなのだが、やはり、 デフォルメの仕方に独特の癖があり、邪魔に感じることがある 。翻訳物だと、元々が別世界の異人の話しだから気にならないのだが・・・。 俳優の声を取り出しきた場合、演技という体の動きとセットで出てくる声だから、自然に聞こえるのかもしれない。アフレコだろうと言われそうだが、 要は、俳優は、その演技、体の動きに応じた


ジョン・フォードの「ギデオンの一日」(映画感想文、批評ではない、念の為)
◇ギデオンの一日(1958年) ※タネアカシ少しあり でも鑑賞に問題はないかも YouTube に上がっていたので見てみた。なかなかいい映画ですな。西部劇の巨匠・ジョン・フォードが、スコットランドヤードの警視ギデオンの、公私にわたって多忙な一日を、悠揚迫らぬペースでユーモラスに描いている。 想像したようなリアルな警察映画では無いのだが、次々と発生する事件を淡々と処理していく、 典型的英国紳士のギデオンが、時々、感情を爆発させる、それが、ごく控えめに感動的である。 ※以下、スポイラーアラート。 精神病者に娘を殺される母親のエピソードには涙が出た。あの母親役の女優の優れた演技は、我々の周囲にいる人の良い中年女性の誰かを想起させる力があった。(私が思い浮かべたのは、自分の奥さん) だから、自らの善意が最愛の娘を殺す結果になった彼女の悲嘆が胸に迫るのである。 結局のところ、作り物にすぎない俳優の演技が、時に我々の心を打つのは、我々が現実に触れ合った人たちの何かを想起させるからだろう。少なくとも、リアリズムの演技においては、そう言えると思う。 ラストも良


不定期テレビ日記(2025年12月③)〜停戦成立!タイのパーフェクトゲームか・・・な?
2025年12月20日(土) <カンボジア軍、トンネル陣地で持ち堪える> 昨日は、全く砲声を意識せずに暮らした。スリンのタークワイ遺跡周辺(350高地)付近ではまだ激戦が続いていたよう。 カンボジア側は、同高地から遺跡に向けてトンネル網を張り巡らしていて 、これが、空爆が効を奏しにくい理由のようだ。ここでもベトナム戦争の亡霊が出てきた。カンボジアが遺跡を軍事目的で使っているのは事実のようだ。 しかし、 カンボジア軍は応援部隊が陣地に入れず、補給も寸断されて食料と水が不足 しているようだから、この高地の陥落も時間の問題ではないか。そういえば、カンボジア兵が食糧を求めて投降してきたことがニュースになっていた。村人から食事をもらい、病院で治療を受けたという。スリンのカンボジア国境はクメール系タイ人が多いので、こういう同情的な対応になるのだろう。 しかし、彼らの帰属意識がどちらにあるかというと、これははっきりとタイにあるのである。自分の住んでいるタンボンもクメール系がマジョリティなので、はっきりとそれは言える。 イサン系住民との軋轢など全くない。...


【再掲】アニメ版「動物農場」(1954)の予告編〜ジブリ配給!全体主義批判の名作のアニメ化
※2024年7月21日に別サイト(アジア日誌)に投稿 ジョージ・オーエルの共産主義批判の寓話「動物農場」のアニメ版。なかなか良くできている。エンドマークの後どうなるかが知りたいが、おそらく理想主義的なロバは、革命を防衛するためにロベス・ピエールのような恐怖政治を敷くのだろうな。 オーエルの原作は、受験勉強の対訳リーダーで読んだような気がする。アニメで見返すと、子犬の頃に親から離して思想教育した犬を忠実無比な親衛隊に仕立て上げるなど、黒豚の独裁者ナポレオンがやった事は、まさに、後年、カンボジアでポルポト派がやった事であり、その先見性は薄気味が悪くなるほどだ。(直接のモデルはソ連なのだろうが。あるいはヒトラーユーゲントかもしれない) アニメは原作をかなり脚色していて、一応、勧善懲悪の結末にしてはいるが、独裁者が倒れても希望が見えてくるわけでなし、なんとなく、見せ物小屋映画「フリークス」のラストを連想させる。虐げられた者が復讐を果たすカタルシスはあるが、根本的な解決方法はなく、この後の歴史においても、同じような独裁者の出現と独裁者への復讐劇が繰り返され


カンボジア軍の対人地雷でタイ兵士が負傷。足を失う兵士は9人目。タイ軍が現場写真を公表。
以下、 タイ陸軍第二軍管区が公開したカンボジア対人地雷敷設の証拠写真 。政府機関の公開映像なのでここにそのまま引用、掲載する。 先日、タイ側が「奪還」したタークワイ遺跡周辺で発見されたPMN−2対人地雷。地雷が爆発しタイ兵が足を失った地点から30センチほど離れて一個(写真の1の地点)、少し離れて、あと三個(写真の2、3、4)連続して敷設されていた。 タイ政府は、オタワ条約違反の明白な証拠として条約機構へこれを報告する。地雷で足を失ったタイの兵隊は9人となった。9人目は写真の地点で被爆した兵士である。 これ以外にも証拠はいくつもあり、 カンボジア側のオタワ条約違反はもはや明白 なのである。カンボジア政府は絶対認めないだろうが・・・。 「国際社会はタイに誰も味方してくれない」(と、先日、タイの国防大臣が言っていた)と、タイ人が怒っているのには、こういう事情もある。どちらが先に攻撃を仕掛けたかは水掛け論になりがちだが、地雷の件は、誰が悪いかはっきりしているではないか。 トランプが地雷被害は「事故に過ぎない」とSNSで放言した時、タイ人が激怒したのも無理


【再掲】ゴッドファーザー謎の効果音〜トリビア考察のための引用二つ
クリスマスにちなんで再投稿。名作「ゴッドファーザー」のドン・コルレオーネ暗殺未遂シーン、あれは、クリスマスの日の出来事なんですね。引用の二つ目がそのシーン。一つ目は、重傷を負ったドンをマイケルが病院に見舞う場面。 この Tonight, Tonight, Tonight...という不吉な人声、 壊れたレコードか何かの映画の実音なのか、それとも、マイケルの内心の不安を表す効果音なのか? ・・・どちらにしても効果は同じなのだが、ずっと気になっている。もっと気になるのは、 この Tonight が、実際にヒットした曲の一部なのか、映画用に作った音楽の切れ端なのか 、という疑問である。映画の設定は第二次大戦終結の年だから、1945年から2、3年遡ってビルボードのサイトでヒット曲を調べたが、ピッタリくるものが見つからない。 ゴットファーザーは、いうまでもなく、世界中にファンがいる名作映画だから、重箱の隅を突いて突いて突き回すトレビアサイトがいくつもあり、自分と同じ疑問を持った人もいるはずなのだが、その手のファンサイトで探しても回答がみつからないのである。ま


カタロニア民謡「聖母の御子」と「君が代」「聖母像」の関係性をAIが語ってくれた。
クリスマスが近づいたので投稿。カタロニア民謡「聖母の御子」は、日本語の歌詞をつけて、いくつものバージョンを投稿しているが、これが一番アクセス数が多い、と言っても3000くらいだが。にもかかわらず、作り直したのは、古文調の歌詞の文法の正しさに自信が持てなくなったため。 「母の胸に抱かれし」「携し灯火は」の「し」は、過去の助動詞「き」の連体形なので、意味が違ってくるのではないのかと・・・。 そこでChatGPTに聞いてみた。 以下、回答を抜き出す・・・ちょっと長くなるが、 とても鋭いところに気づかれています。結論から言うと――その違和感は正しいです。そして、あなたの歌詞は「間違っている」のではなく、古語の用法がもともと持っている曖昧さを、意図せず踏み込んでいる状態だと思います。 順に整理しますね。 1. なぜ「過去」と説明されるとおかしく感じるのか ご指摘の通り、 母の胸に抱かれし御子 携し灯火 を、単純に 「抱かれていた御子」「携えていた灯火」 とすると、歌っている“今”の情景や祝福から、時間がずれてしまう。 特に「御子の御代に幸あれ」は、 今まさ


不定期テレビ日記(2025年12月②)〜「朝から砲声」がルーティーンに・・・など
相変わらずグータラしている村の犬たち 2025年12月10日(水) 猫パルボウィルスの予防注射、2回目を打つ。これで、サンシー(三毛)は一安心。接種後も、元気に遊んでいる。猫の黒死病のせいで、村中の猫はめっきり減ってしまった。もしかしたら1匹しか残っていないかも。少なくとも自分は、最近、村の通りで猫の姿を見かけたことはない。 つまり、サンシーは方舟に乗ることが許された選ばれた猫なのだ(笑) 長生きしてくれればいいと思う。正確な生年月日はわからないが、母親と一緒にいるところを見つけたのが、昨年の12月始めなので、今月で満一歳となった。 2025年12月11日(木) 朝から盛大に砲声が響いてくる。 今日は、連続して着弾する砲声が多いようだ。 これがBM21の砲声の特徴なのかも。(自分が聞いている音には、それ以外にも、大砲の音、タイ側の戦闘機の爆撃音が混じっているだろう)構わず、朝飯を食う。 砲声一つにつき、誰かが死んだり、怪我したり、誰かの家が壊されたりしている可能性があるのだが、こう言う時は、「関心領域」を狭窄化しないと、やってられない。...










