今日の一句〜熱帯季題「クロトン」「月下美人」「ブーゲンビリア」
- somsak7777
- 4月29日
- 読了時間: 5分

◼️クロトン(例句なし)
クロトンは日本語で変容木(ヘンヨウボク)。さまざまに色を変えることからこう呼ばれる。熱帯原産。日本では観葉植物として人気があるのだそうだ。タイでもよく見かけるが、雑に扱われている印象がある。うちの庭にも鉢植えがあるが、半分枯れかけている大ぶりの葉っぱに、毎日、惰性的に水をかけている。
昭和15年発行の虚子歳時記には例句が掲載されていない。やはり印象に残らない植物なのだろう。今のように、ネットで写真や動画を探すこともできない。自分も、この植物に関して、特に記憶に何かあるわけではないので、地味な路地裏の草、蔑ろにされて茶色に変色した鉢植えのイメージで、無理やり作ってみた。
クロトンに小便どぼとあたり跳ね では太
その辺りの空き地に生えているクロトンに立ちションベンをしている図。最初の一撃は、ドボっとかかり、次に飛び跳ねるので、慌てて後退りしている。卑俗な写生句だが、なんとなく感じがわかるという人は多いのではないか?最も、最近のタイは、そこらじゅうに監視カメラがあるので、おちおち立ち小便もできないのであるが。
ペラペラの石鹸の香や変容木(ヘンヨウボク)万斛
こちらは、学校の水飲み場や家の便所の側に、無造作に置かれている鉢植えのクロトン。手元には蛇口から垂れ下がった網入りの固形石鹸、もしくは、トイレの石鹸ケースに置かれた安物の黄色い石鹸がある。どちらも、すり減って、ペラペラになって、香りもあまりしなくなっている。ふと向こうに目を向けると、そこには枯れかけて忘れられたクロトンが、しょんぼりと立っている。パッとしなものを取り合わせた、パッとしない俳句。
◼️月下美人
写真を見ると、白いレース地のように透ける花弁が、四方に広がって、ちょっと「エーゲ海に捧ぐ」のジュディ・オングを思わせる花である(笑)昭和のホステスさんっぽい。開花期に、一晩かけて咲き、朝になると萎んでいる。そういうことを、一定の間隔を空けて、二、三度繰り返す花らしい。
実物は見たことがない。ホテルオークラの前あたりで、似たような白い花を見かけたことがあるが昼間だった。虚子歳時記の例句は以下。
団欒に月下美人の咲きすゝむ 岬人
家族や親しい人々の宴の夜、月下美人が次第に開花していく。日常の中にある特別な瞬間、幸福が穏やかに静かに最高潮へ向かう時間の流れを詠んだ、ゴージャスな句。熱帯季題の例句の中で一番好きかもしれない。
以下は、自分の句。例句の翌日を詠んでみた。
翌朝の月下美人は見ずに出立つ 万斛
宴は歓送会だったのだろう。翌朝、楽しい時間は終わり、月下美人はしぼんでしまい、次の開花の時間、次のお楽しみまで待機することになった。自分も、気分を変えて、新しい現実に旅立たねばならない。「出立す」と決然と行きたいところだが、億劫だ、あーヤダヤダ。
◼️筏葛(ブーゲンベリア)
これも虚子歳時記の例句を先に挙げる
夜霧とぶ筏蔓の花の門 今城
垣根に植えられた筏蔓(いかだかずら、と読ませる)の前を、門燈に照らされた夜霧が飛び交っている。日常にある普通の光景をことさら劇的に描いて、一人で悦に行っている句である。こういうのが俳句の楽しみ方なのだな。
ということで、自分は、日常劇化ホラー編として劇的にしてみた。
廃屋の筏蔓の赤禍し 万斛
ブーゲンビリアの花が好きで見かけたら写真を撮っているのだが、Shopeeで種を注文して撒こうとすると、かみさんからストップがかかった。ブーゲンビリアは家族に不幸をもたらすからダメなのだという。ネットで調べて見ると、これはイサーンの言い伝えのようで、華僑系タイ人の間では、その強靭な生命力を多として、縁起の良い花とされているそうだ。
そのことを話して、家の外縁、塀のところならOKだろうと談判してみたら、撒いてもいいが、花が咲いても、お義母さん(迷信好きなのだ)が抜いてしまうだろうという。彼女は迷信深いのだ。
諦めてしまい、種もどこかに行ってしまった。お寺の境内などには普通に咲いていて、街道沿い(村のメインストリート)のある家なども垣根にブーゲンビリアを植えて、今、満開に、真っ赤に咲き誇っているのだが・・・泣く子とババアには勝てん(笑)
説明が長くなったが、上の句は、その「筏蔓の家」を読んだもの。街道沿いにはクメール系の住民が多いので、迷信のあり方も、ラオス系のイサン人とは違うのかもしれない。しかし、そう言われて見ると、真っ赤になったその家の前庭が、不吉にも見えてきた。「火宅」という印象にもなる。そこで「赤禍し」としたわけだが、我ながら、あまりにも説明的すぎる。ChatGPTに批評させてみても同じ意見だった。そこで少し捻って、
廃屋の筏蔓や猫動く 万斛
としてみたら、AIの評価はこちら方が高かったのである。AIを馬鹿にしてはいけない。俳句の実作や添削は全然ダメだが、批評はかなり正確にできるのだ。星新一賞に入選した3作のうち2作はAIの作品だったほどだ。ショートショートならロジックと既存作品の要素の組み合わせで作れるのである。ちなみに、AIによる批評を引用して見ると・・・
廃屋の筏蔓や猫動くこちらは具体の景で押す句です。「や」で切って、静止した荒廃の中に「猫動く」というわずかな動きを置くことで、不気味さや気配が自然に立ち上がる。説明も評価語もない分、読者に任せる余白があり、俳句としては素直で強い。
廃屋の筏蔓の赤禍し一方は「禍し」で印象をまとめる句。赤をどう感じるかを作者が提示しているので、方向は明確ですが、その分、読みはやや一方向に収まりやすい。雰囲気は出るが、少し観念寄り。
まとめると、前者=具体+動きで不気味さを立ち上げる句(より俳句的)後者=色と評価語で雰囲気を規定する句(やや説明的)
AIが、俳句の賞を受賞するようになる日も、そう遠くないだろう。
もう一句、こちらは、追想的、メロドラマ的に劇化してみた。
ブーゲンビリア離散せる日の垣根かな 万斛
ブーゲンビリアを見て、家を出た日を思い出しているのですな。そして今、こういう感じで生きている。
名曲!
高浜虚子編の歳時記(昭和15年刊)にあった「熱帯季題」での俳句作りは、これで全て終了。これからは、自分勝手に「熱帯季題」認定して、俳句を作っていくことにする。
ではでは
<了>













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