今日の一句〜熱帯季題「火焔樹」「無憂華」「鳳凰樹」
- somsak7777
- 4月7日
- 読了時間: 3分

▪️火焔樹
火焔樹のしたロティまつ少女おり 万斛
写真の火焔樹(もしくは鳳凰樹)は、街道沿いにあるスーパーの駐車場にあるものを撮ったのだが、その木の下に、アイスコーヒーを売る屋台がある。最近タイで流行りの、クスクスの白玉が入ったやつ。プラスチックコップの蓋をラミネートして、そこに太めのストローを突き刺して飲む。売っているのが、中学を卒業したばかりのような若い女の子で、この娘は、こんなところで日がな一日暮らして、若い時間を無為に過ごしていくのか・・・と感慨深く眺めている。余計なお世話だが(笑)
アイスコーヒーだと熱帯ぽくないので、ロティの屋台にして。ロティが焼けるのを、火焔樹の木陰で、女の子が待っている・・・そういう一枚の絵にしてみた。
虚子歳時記の例句は以下、
火焔樹の花と教へて手を翳す 楠窓
南洋住まいらしき作者が、日本から来た客に、「あれが火焔樹」と指差しながら教えて、日差しの強烈さに思わずその手を額にかざす・・・そういう瞬間を切り取っている。熱帯の光の強さが、網膜の微かな痛みと共に伝ってくるようだ。流石にうまい。
▪️無憂華
無憂華の影静まれる鋪石かな 万斛
無憂華の影が敷石にさして、風で花が揺れるにつれて、影も揺れている。くっきりと舗石に映ったその影が、風が止んでふと静止する、その瞬間を詠んでみた。
例句は、
無憂樹の華のかげりて蜂も去る 苦参
釈迦の母親マヤが、出産のために実家に戻る途中、ルンピニの園を訪れたとき、ある花の美しさに思わず手を伸ばすと、その脇の下から釈迦が生まれた。なんの苦痛もない誕生であったため、無憂華の名が付いた。そういう仏伝がある。時間がゆったりと流れて、何かの存在が終わりを迎える。そんな感じが心地よい。極楽浄土に咲く花のイメージかな。
▪️鳳凰樹
家族写真の後景にあり鳳凰樹 万斛

上は、家族で毎年行っていた、サメット島で撮影した鳳凰樹。実際のところ、家族写真の背景にあるのは、島の名の由来となったサメットの木なのだが、季題が鳳凰樹なので、鳳凰樹に変えて作った。
白状すると、自分は、この写真が鳳凰樹なのか火焔樹なのかわからない。最初の写真にしてもそうなのだ。タイ語の呼称では、両者は混同されて、どちらの花もドークハーンノックユーン(孔雀の尾の花)と呼ばれる。だから、自分にとっての花の名前の権威であるかみさんは、どちらも「孔雀の尾の花」だと答えるが、多分、間違っているのだと思う。
句例は、
夕凪や花落ちつゞく鳳凰樹 すなほ
風もないのに、鳳凰樹の花が、散り続けている、ちょっと不思議な風景。「静心なく花の散るらん」というのではなく、花は絶えることもなく、ひたすら落ち続けているイメージ。これも極楽浄土に咲いている花かな。そうでないとしても、一瞬、そう風に思わせる光景にであって、この句を詠んだということだろう。
<了>













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