top of page

【再掲】ホーホケキョとなりの山田くん(1999)映画感想文

  • somsak7777
  • 1月17日
  • 読了時間: 2分

更新日:1月17日



大変にようございました。映画のテーマは、「適当」ということらしいが、タイなどに住んでいると、適当であることが、幸せに生きるための必要条件であることが身にしみて感じられる。


世の中には、突きつめて考えても答えが出ない問題の方が多いのだから、「適当」に、物事を軽く見て、生きていく方が楽なのだ。タイの偉いお坊さんもこう喝破している。「悩み事があるから考えるのでなく、考えるから悩み事が起こるのだ」と。


かといって、そのようなブッキョー的な題目を唱えれば、それで能天気に、極楽とんぼのように生きられるかというと、そんなことはなく、生きて死にたどりつくということは、いずれにしろ結構大変なのだ。この映画が引用している芭蕉の句のように、


やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 芭蕉


とこうなれれば最高なのだが、現実は、


ケセラセラがなるオヤジの涙声 万斛 


くらいが関の山なのだ。


ということで、おしげ婆さんが幼馴染を病院に見舞いに訪ねて大ショックを受けるエピソードが一番印象に残った。ま、そういう年齢になったからなのだが、高畑勲が選ぶ俳句がまたいいのである。これは、最初ちょっと誤読して、「今際の際に耳だけが生きていて蝉の声が聞こえている」というのも、良いものかも・・・と思ったものである。


「けしき」を「景色」と瞬間勘違いしたからだが、これは、当然、「気色」と読むのだ。「これから死のうという様子なんか毛ほども見せないで、蝉が全力で鳴き続けている」という、そういう句だ。しかし、なんか、めちゃくちゃ良い句。これが理想型。


それにしても、いしいひさいち、という人はいい漫画家でした。やくみつる、が描くような、絵で説明しているだけの野暮な文化人ポンチ絵とは違って、あの人の漫画を読むとなんだか慰められた。高畑勲は、そのエッセンスをよく取り出してアニメーションにしたと思う。お二人とも、すごい人でしたなあ。


あ、いしい先生は、ご存命だった!


ではでは


<了>

コメント


カテゴリー
bottom of page