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今日の一句〜熱帯季題「パパイヤ」「龍眼」

  • somsak7777
  • 3月17日
  • 読了時間: 3分

更新日:3月18日


水牛のトロフィーのごとパイヤの木 万斛
水牛のトロフィーのごとパイヤの木 万斛

今日の一句


この辺りは果物が続く。


▪️パパヤ(パパイヤ)


目があってうなずくパパヤ採っていく では太


親戚が来て、庭にあるパパイヤを阿吽の呼吸で採っていく。別に改まって説明することもない。そういうタイの村生活のルーティーンを歌った句。ちゃんと断って採って行くこともあるが、断らないでも、こちらは何となく理由がわかっている。


念の為に言っておくと、「自分の場合」、この句のようなことは、村落生活に溶け込んでいるから起こるのではなく、むしろ「こいつには説明してもわからないだろう」と思われているからそうなるのだと思う(笑)現実はそういうことなのだが、この句自体は、タイの村落生活のアヤを一般的に詠み、一般的な意味合いを説明してみた。


閑話休題。例えば、パパイヤを借りにくる理由は、


帰省した娘がせがむ青パパヤ では太


バンコクから久しぶりに帰省した娘が、ソムタムが食べたいと言い出した。家のパパイヤの木は実が落ちたので、親戚のところに借りに来たというわけだ。だから、採って行くのは、黄色く熟した甘いパパイヤではなく、千切りにしてソムタムに使う青パパヤ。こっちは、娘が帰ってきたことは知っているから「多分そんなところだろう」と思っているのである。


この句にしても、イサーンの生活に関する共通体験や知識がないと理解できないと思うが、俳句とは元々そういうものだから仕方がない。つまり、熱帯俳句とは、極めてニッチなオーディエンスを対象とした共通感覚のアートなのである。


自分の場合は、オーディエンスは自分だけ、あるいは、読んでくれている人がいるとしても5、6人・・・と、そういうレベルだろう。に、しても、それなりに楽しむことはできるのである。だから、独房で一人で時間を過ごす必要がある時に、持ち込むべきは歳時記なのだ。いや、最悪、歳時記さえ必要ない。脳みそ一つあればできる娯楽なのだから。


ちなみに、虚子の熱帯季題では、パパイヤではなくパパヤとなっている。タイポではない。



▪️龍眼


龍眼の何やら喉に刺さりおり 万斛


龍眼の薄い皮を剥いて食べると、皮なのかヘタなのか、何かの細かなカケラが、ほっぺたの裏側や喉に引っかかったような感じになる。その違和感を詠んだ。龍眼を食べなれない人にはわからない感覚だろうが、俳句とは元々そういうものだから、わからなくても、♪どーだっていいぜ、問題はなああああし!


龍眼のタネ味なきをしゃぶリおる では太


竜眼の実の部分は、薄くて、あんまり量がないので、食べ終わった後も、物足りない気持ちで残った種をいつまでも舐めていることがある。口寂しいのである。別のを剥いて食べればいいようなものだが、それも何だか億劫で、種を吐き出さずに口に含んでいる。ちょうど、「小梅だより」くらいのサイズとつるつる感がいいのだが、甘くはないので味気ない。そういう感覚を詠んでみた。


龍眼の種嚥下せる喉仏 万斛

添削 龍眼の種のみこんだ喉仏 では太


そして、そうやって種を舐めていると、間違って飲み込んでしまうことがある。あの、種が喉を通る時の気持ち悪い感じ、飲み込んでしまった時の「やっちゃたあ」という失敗感覚、飲み込んだことのない人には分からないだろうな。が、ま、


♪どーだっていいぜ、問題はなああああし!


最初、あえて「嚥下せる」・・・と難しい言葉を使うことで、種を呑み込んでしまう間抜けさとのギャップをユーモアにしようと狙ったが、あんまりうまく行っていないようなので、口語体に添削した。口語体の時は「では太」という俳号を使うことにしている。


ではでは


<了>

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