【再掲】寅さん映画の場面転換の「音」「ノイズとしての人の声」について
- somsak7777
- 2025年12月31日
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「音」といっても、特別のテクニックの事を言っているのではなく、外国の評論家の言うピローショット、平たく言えば「場面展開の絵」に載せてある音、ノイズの事。
例えば、夕暮れ、田舎町の雑貨屋の前を自転車に乗った女子学生が通りすぎる、その時、店番のお婆さんがかける「気いつけて帰りんさいよ」・・・みたいな言葉、音。おそらくロケ地の地元の人に言ってもらってる、方言混じりの、その声。音は環境音、ノイズとして取られ、特別に強調されていない。この「立ってない」音のさじ加減が抜群なのですね。
考えてみると、我々は、普段の生活の音を、映画やテレビみたいに、強調された特定の音として聞かないわけで、こういう人声も、数多ある生活音、ノイズの一つとして聴くのである。このさじ加減の抜群さが、今となっては懐かしい景色、光景に相まって、我々になんとも言えない感懐を呼び起こすことになる。
この種のショットを外国人が「ピローショット」などと言い始めたのは、小津安二郎が場面展開の絵を多用したからだが、小津は、ラーメン屋が吹くチャルメラの音や柱時計の音など、明確に効果を狙って環境音を強調して使うことはあっても、生活音としてのノイズをそのまま場面転換の絵に載せる事をしなかったように思う。映画の音の撮り方をよく知らないが、あの一件無造作な「ノイズとしての人声」は、間違いなく、山田洋次監督が、効果を狙い打った音なのだ。始めに、「テクニックの事ではない」と書いたが、そう考えれば、これは相当に高度なテクニックだ。
写真は小津の映画「浮草」冒頭近くの、静物画的ピローショット。小津が場面展開で使う絵は、こういう静的なものが多かったように思う。人は出てきても、点景に過ぎないので、声を発する事はないわけだ。
ではでは












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