top of page

【再掲】チャップリンに関する感想文

  • somsak7777
  • 1月11日
  • 読了時間: 26分

更新日:1月14日


◇「殺人狂時代」(1947年) タネアカシあり


私の中でのチャップリンの最高傑作。殺人を繰り返しても悔悟しない映画の主人公は今でこそ珍しくないが、当時この映画がアメリカ社会に与えた衝撃は推して知るべしだろう。チャップリンは、この映画を直接の原因として赤狩りの対象となったと記憶する。


「独裁者」がヒトラー批判、ファシズム批判であるのに対して、この映画はアメリカにとっての「良い戦争」(第二次世界大戦)まで根こそぎ 否定しようとしたのだから(一人殺せば殺人者、100万人殺せば英雄となる)、危険分子とみなされないはずはないのである。


人殺しをビジネスにしてまで守ろうとした家族を失った後の、返ってさばさばしたような、しかし、おそろしく冷え冷えとしたあのチャップリンの表情!そして、教誨師の「悔い改め」の誘いをキッパリと拒否して死刑台に引かれていくチャップリンの少し揺れる映像に、心底驚き、「こんなところまで映画で描いていいものか」と思ったものだ。


ではでは




◇街の灯の残酷なラストと淀川長治


※ タネアカシあり。ラストシーンについての話なので、チャップリンの代表作のネタを完全に割っています。それらの映画(街の灯、モダンタイムズ、キッド、ライムライト)を見ていない方は、読まないことをお勧めします。



先日、コメント欄で、「街の灯」の話題が出たとき、この映画のビミョーなエンディングの事を思い出しました。どなたかも指摘していたが、あの、実は辛辣な映画批評家であったサヨナラオジサンは、この映画を単純なハッピーエンドとは考えていないのですね。

恩人であるチャップリンの浮浪者を、手術で見えるようになった目で初めて見たヒロインの失望感、その失望感を押し殺して、感謝の気持ちを伝えようとする内心の葛藤が、みごとに表現されたエンディング、ま、そんな感じの解釈をしていたと思います。


吉行淳之介を唖然とさせた「太陽がいっぱい」の解釈(吉行との対談でこの映画を「ホモセクシャルの映画」と断言し、驚く吉行を説得してしまった)といい、一筋縄ではいかない人だったのじゃないでしょうか、この人は。「嫌いな映画に出会ったことがない」などと言うのは、おそらく営業用の嘘じゃないかと。


一筋縄で行かないのはチャプリンも同じで、「モダンタイムズ」のラスト、一文無しになったチャップリンとツレアイが、まっすぐに彼方に続く道をあるいていく後ろ姿、希望があるような、ないような、微妙なラストでしたね。ツレアイがいないよりはなんぼかマシだが、やはり、二人の未来に明るいものはないのですね。保証なき社会の荒野を、二人だけで歩き続けなければならないのだから。



この間、ホームレスの老人カップルを若い奴らが追い回して、男性の方が殺される事件がありました。このニュース を聞いて「モダンタイムズ」のラストを思い出してしまった。それが彼らの末路なのだ・・・とまでは言いませんが、そう感じさせるような「救いのなさ」もあのエンディングにはあるのですね。だからこそ、映画を作った人の「二人の未来が恙無くあるように」という、祈りにも似た思いも伝わってくるわけです。


一般的なイメージと違って、チャップリンは単純なハッピーエンドの映画を、ほとんど作らない人だったと思います。「ライムライト」は、自分が用無しとなったことを悟って自死とも言えそうな最期を遂げる老芸人の話だし、一見、ハッピーエンドの「キッド」も、チャップリンの浮浪者が警察に連行されるまでが現実で、ラスト30秒のどんでん返しは「絵空事だよ」というチャップリンの目配せが感じられます。伏線も何もない、あまりにも安直な、急転直下のエンディングですから。


チャップリン自身、幼少時代、地を這うような貧乏を経験した人で、何かのインタビューで、「貧乏であることは地獄です。そこに美化できるものは何もありません」と答えていたと思います。だから単純な「ヒューマニズムのお約束」に準じたラストシーンを作るのが嫌だったのではないか。そして、そういうチャップリンの本音が噴出したのが、最高傑作「殺人狂時代」であった。・・・と、私は勝手にそう考えております。


サヨナラ、サヨナラ、ではでは(笑)




◇チャップリンの「殺人狂時代」と原爆



チャップリンの半生を20数分で解説したビデオクリップ。だから、めちゃくちゃに早口だが、最近はオート字幕という心強い味方がある。95パーセントくらい正確に英語を書き起こしてくれる感じあり、わからなければ止めて読んで辞書を引けばいい。


チャップリンは、映画「殺人狂時代」の中で、連続殺人鬼ベルドゥー氏に最後の法廷陳述で、「破壊兵器を科学のスイを集めて作る連中と比べれば、私などは殺人のアマチュアに過ぎない」と語らせている。


この映画が公開された1947年当時、チャップリンが経営する United Artist は経営危機にあったのだが、解説者は、この映画について、以下のように述べている。


「ユナイテッドアーティストの経営改善のためにも、チャップリンは『街の灯』のような映画を作るべきだったが、そうはせずに、アメリカ人一人一人にヒロシマの責任を負わせるような映画を撮ったのである。」


1945年8月12日付けのニューヨークタイムズ
1945年8月12日付けのニューヨークタイムズ

撮影期間は1946年4月〜9月の間。原爆投下から半年以上経過している。原子爆弾のニュースは、投下当日に既にラジオや新聞で報道され、写真も掲載されていたから、訪日経験もあり親日家だったチャップリンが、ヒロシマ・ナガサキを念頭におかずに「科学の粋を集めて作った破壊兵器」に言及したとは考えにくいのである。


上の動画クリップでも、現代アメリカの映画解説者が、あのセリフから、ヒロシマ、ナガサキの原爆を当然のように想起して、あのように語っている。


1947年当時、そこまで突き抜けて戦争そのものを批判してしまったら、「正義の戦争」の勝利に酔っていたアメリカに、危険人物として嫌悪されたのは当然だろう。その上、この映画のラストで、連続殺人鬼ベルドゥーは、「一人殺せば犯罪者だが、100万人殺せば英雄になる」と言い放って、教誨師の悔い改めの誘いをキッパリと拒否して死刑場に赴くのである。これが、キリスト教国アメリカの逆鱗に触れないはずはない。チャップリンは、この映画を原因の一つとしてアメリカへの入国を禁止された。


スターリンへの手放しの礼賛など(チャップリンが「共産主義シンパ」だったという事は濡れ衣ではなく事実だったと思う)、チャップリンもいくつも過ちを犯しているが、やはり、ものすごく先見の明があった人だと思う。また、我々日本人は、こういう作品を戦後すぐに作って、戦勝国の「正義の戦争」の非人道性を批判してくれたチャップリンに恩義に感じるべきではないか。


以下、チャンプリンの公式YouTubeから



Verdoux: Oui, Monsieur, I have. However remiss the prosecutor has been in complimenting me, he at least admits that I have brains. Thank you Monsieur, I have. And for thirty five years I used them honestly, after that… nobody wanted them. So I was forced to go into business for myself. As for being a mass killer, does not the world encourage it? Is it not building weapons of destruction for the sole purpose of mass killing? Has it not blown unsuspecting women and little children to pieces, and done it very scientifically? As a mass killer, I am an amateur by comparison. However I do not wish to lose my temper, because very shortly I shall lose my head. Nevertheless, upon leaving this spark of earthly existence, I have this to say…..I shall see you all very soon……


ではでは


参考


アジア日誌記事


以下、殺人狂時代について




◇チャップリン「黄金狂時代」の家が傾くギャグ

24年7月23日

※映像の引用はチャップリンの公式YouTubeページから。


「黄金狂時代」をチャップリンの最高傑作にあげる人もいるが、今の感覚では、この「傾く家」のシーンはチト長すぎる。(この動画dは1分足らずに切ってある)見る方が、ギャグに対して贅沢になったからで、当時の観客にはこれで十分面白く、費用対効果から言っても、このくらい長く使わなければ合わないシーンだったのだろう。


この「傾く」というギャグは、The Immigrant という無声映画にも出てくるから(移民船の中でテーブルが大きく傾く中で食事するシーン)、おそらく、チャップリンのスタジオに、こういうシーンを撮るためのセットが常設されていたのではないか。シーソーのようにゆらゆらする部屋のセットか何かだ。


「黄金狂時代」に話を戻すと、私はこの映画を1990年代初頭のカンボジアで見た。当時、あの国は、自国の言葉に翻訳して、吹き替えやスーパーで見るという余裕もなく、映画と言えば、チャップリンの無声映画だった。お茶屋さんのバラックで、カフェダコトコという練乳の入った甘いコーヒーを飲みながら、何度もコピーされて色の抜けたVHSテープのチャップリンを、みなで繰り返し見て笑うのである。


言葉の壁を易々と超えて、海賊版の無声映画が、当時、ようやく平和への希望が見えかけたあの国の人たちに、少しの慰安を与えていた事に、今更ながら感動する。チャップリンの凄さであり、映画というものの凄さだろう。


ではでは




◇チャップリンの独裁者〜世界征服の風船4年7月24日



チャップリンはこの映画を1940年に作って反ナチス勢力の結集を呼びかけ、終戦二年後の1947年には戦争そのものを根底から批判する「殺人狂時代」を作っている。


すごい人だ。メッセージが矛盾するようだが、両方がその時代の現実なのだから仕方ない。現代にも、風船がはじけてパニックになっているマッチョな独裁者がいるようだが、これは、そうあらねばならないと思うのである。


それにしても、チャップリンの風船ダンスは素晴らしく優雅だ。新体操の種目にバルーンがあるとしたら、この映画のこのシーンが発祥なのではないか(笑)


映像の引用は、チャップリンのYouTube公式サイトから。チャップリン映画の場面の引用は、ここからするのが安心、便利である。


追記 ロシアがウクライナ侵略を開始した直後くらいに、こういうことを書いたが、「世界征服の風船」はしぼみはしたが、未だ破裂はせずに人を殺し続けている。そして、この風船は、ナチスドイツの側から、旧社会主義の権威主義国家ブロックに、パスされてしまったようだ。


ではでは




◇ The Immigrant (1917) 〜チャップリンのホボーの出発点、移民船



この「移民船」をテーマにしたサイレント映画がチャップリンのホボーものの第一作という意味ではない。


チャップリンの「浮浪者もの」(キレイな言い方だと放浪者)というのは、新大陸へ渡ってきた移民が、アメリカという産業社会から弾き出されて、飢餓線上で放浪する一連のお話しなのですね。そういう意味での、ホボーものの出発点。あ、トランプものと言うべきか。


だから、チャップリンの浮浪者というのは、フーテンの寅のような根っからの善人ではなく、こすっからく、利己的で、時には、コソ泥や詐欺を働く、子悪党、結構な嫌な奴で、殆ど懸想した女性に対してだけ英雄的精神を発揮する。その原型が、このサイレント映画にあるような気がします。


ところで、この船内がシーソーもように揺れるシーン、「黄金狂時代」の「崖っぷちの小屋」のシーンと同じセットを使ったのではないか?


ではでは




◇チャップリンの殺人狂時代〜青髭ベルドゥー氏、法廷での最後の陳述



※大量殺人者「青髭」氏を演じるチャップリンの法廷での最後の陳述。チャップリンの著作権を管理する団体のYouTubeオフィシャルサイトから。


以下、チャップリンの「最後の陳述」の英語書き起こし


Verdoux: Oui, Monsieur, I have. However remiss the prosecutor has been in complimenting me, he at least admits that I have brains. Thank you Monsieur, I have. And for thirty five years I used them honestly, after that… nobody wanted them. So I was forced to go into business for myself. As for being a mass killer, does not the world encourage it? Is it not building weapons of destruction for the sole purpose of mass killing? Has it not blown unsuspecting women and little children to pieces, and done it very scientifically? As a mass killer, I am an amateur by comparison. However I do not wish to lose my temper, because very shortly I shall lose my head. Nevertheless, upon leaving this spark of earthly existence, I have this to say…..I shall see you all very soon……


チャップリンは恐らく「悔い改めないシリアルキラー」を描いた最初の映画人ではないか。もちろん「非道な戦争を風刺するため」とかいろんな理屈はつくが、チャップリンはこの映画を作った時、「本当の事を言ってしまう」快感を感じていたに違いない。


「青髭」氏はこの後、教誨師の悔い改めの誘いをキッパリと断り、少し揺れる足取りで処刑場に引かれていく。このラストシーンを見た時、「ここまで映画で描いてしまっていいのか」と衝撃を受けた。チャップリンは「独裁者」ではなく、この映画を理由の一つとして、アメリカへの入国ができなくなったと記憶する。


1945年8月12日付けのニューヨークタイムズ
1945年8月12日付けのニューヨークタイムズ

「無防備な女子供を木っ端微塵にする破壊兵器を意図的かつ科学的に開発するモノどもに比べれば、私は、大量殺人者としてアマチュアに等しい」と、「殺人狂時代」の主人公がいう時、チャップリンの頭に広島、長崎があっただろうか。映画の公開は1947年。クランクアップは前年の9月、原爆投下のニュースは1945年8月6日の翌日にはアメリカの新聞で報道されているし、一週間後に、ニューヨークタイムズが件のキノコ雲の写真を紙面に掲載している。訪日経験もあり、親日家として知られたチャップリンが、ヒロシマ・ナガサキを念頭におかずに、「女子供を木っ端微塵にする破壊兵器」のセリフを言ったとは考えにくいのである。


現代のあるアメリカの映画評論家はこうも述べている。


「ユナイテッドアーティスト社が経営危機に瀕しているその時、チャップリンは、「街の灯」のような映画を作って、自社の立て直しを図るべきだったが、そうはしないで、アメリカ国民一人一人にヒロシマ・ナガサキの責任を負わせるような映画を作った」



もちろん「殺人狂時代」のことを言っているのである。


チャップリンの戦争批判は根源的だった。その根源性が、「正義の戦争」を終えたばかりのアメリカの逆鱗に触れたのだろう、「殺人狂時代」は、アメリカ世論の激しい指弾を受けた。チャップリンは、1952年、赤狩り下のアメリカで、入国許可を取り消され、1972年にアカデミー名誉賞を受けるために再訪するまで二十年間、アメリカの地を踏むことはなかった。


この映画を、「まだしも後味よく」、予定調和的に終わらせるならば、エンディングは、ベルドゥー氏と彼が命を救った若い女性との面会シーンになるのではないか。それをしなかったチャップリンに「本当のことを言ってやろう」という明確な意思を感じる。そして、こともあろうに、この映画は、抱腹絶倒の喜劇映画でもあるのだ。抜群に笑える映画、チャップリンの最高傑作だと思う。


ではでは


追記


スターリンへの手放しの礼賛など(チャップリンが「共産主義シンパ」だったという事は濡れ衣ではなく事実だったと思う)、チャップリンもいくつも過ちを犯しているが、やはり、ものすごく先見の明があった人だと思う。我々日本人は、こういう作品を戦後すぐに作って、戦勝国の「正義の戦争」の非人道性を批判してくれた

に恩義に感じるべきではないか。


<了>




◇モダンタイムス、ローラースケートのシーン



※映像の引用はチャップリンの公式YouTubeから。


ホボー時代のチャップリンは、シナを作ったりする不自然な動きが私にはイマイチで、あんまり好きではない。とりわけ、そのエピゴーネン、萩本欽一みたいな人がマネをしてシナを作ったりするのを見るとゾッとする。


しかし、こういうシーンでのチャップリンの体技を見ると「やっぱり凄い人だな」と思いますね。目隠しには何か仕掛けがあるとして、後ろ向きに滑ったりもしているのだから、どうなっているのだろう。(この仕掛けは後に知ったが、言わぬが花だろう)


このモダンタイムズという映画、字幕はごく時々入っているが、なくても全然問題ない。全編、映像のギャグから出来た映画なのだ。


田舎街で映画館を経営していた伯父が、「無声映画など・・・」という周囲の反対を押しきってリバイバル上映に踏み切った初日、映画を見終わって興奮気味に感想を喋っていた我々、子供達に、「どうだ!面白かっただろう」と鼻高々だったことを思い出した。


しかし、そう考えて見ると、あれほど高度な社会批判、文明批判、資本主義批判を、まだほんのガキだった私なども面白がらせながら展開できるのだから、やっぱりチャップリンは天才!


ではでは




性豪としてのチャップリン(タイ語記事から)



「チャップリンの暗黒面」と称して、チャップリンの異常性欲をあげつらっているタイ語記事である。タイでは無声映画のルンペン、放浪者(と言えばカッコ良いが)、セコくてお調子もののホームレスのイメージが強いが・・・と前置きしたうえで、実際のチャップリンはハリウッドのセレブであり、その女漁りは常軌を逸していて、生涯寝た女は2000人を超え、連続して6回までセックスができ、果てた後5分待てば次が可能だった、などなど、と書いている。面白い(笑)、こういう偶像破壊は!


どうしてこんな事がわかるかというと、別れた奥さんが法廷で暴露しているからで、チャップリンは当時としては記録的な慰謝料をこの人に支払っている。元奥さんによれば、チャップリンは人前でセックスしたり、乱行パーティーに参加することが大好きで、彼女が拒否すると、「どこの夫婦もそうしている、君は僕の望む事をするんだ!」と激怒して怒鳴り散らし、時に、拳銃を頭に突きつけられる事もあったという。


チャップリンのロリコン趣味は有名だが、4人の妻のうち3人とは18歳未満で結婚し、そのうち二人は15歳の時から付き合い始めた挙句の出来ちゃった婚だった。前述の元妻の場合などは、「結婚しないと訴える」と脅されて渋々籍を入れている。チャップリンはこの女性と別れるために、あの手この手を使い、最後は、他の男と結婚すれば、30万ドルやると金で釣ろうとしたほどだ。そこまでして別れたがったのに、2年後にようやく別れるまでに、彼女との間に二人目の子供を作っている。


4度目の結婚の女性とは、チャップリンが亡くなるまで添い遂げて、8人の子供を設けているが、これも38歳の年の差婚、結婚した時、女性は18歳だった。アメリカの著名な劇作家だった女性の父親は、この結婚に反対し娘を義絶したそうだが、そういう大きな犠牲を払ったにもかかわらず、この結婚も成功とは言いがたかった。妻はチャップリンとの不和が原因で酒浸りとなり、邸宅を客が訪れると、逃げるように自分の部屋に去っていく事が常だったという。そういう不和の中でも、8人もの子供を作るのがチャップリンらしい。どうもコンドームを付けるのが嫌いだったようなのである。


と、まあ、こういう事がタイ語で書かれ、気軽に読める時代になったのか、と少し感慨深いが、こういう人が、彼の作品の代名詞である「ヒューマニズム」なんぞを額面通り信じていたわけはないわけで、やはり、「殺人狂時代」のシニズムが彼の真骨頂であったのではないかと思う。チャップリンは「殺人教時代」で少しだけ本音が言えて、せいせいしたのではないか?


ではでは




◇検閲官としてのAI~チャップリンの性的スキャンダルに関するタイ語記事翻訳をChatGTPに依頼した結果・・・


以下が、Meta (フェイスブック)の Timeless History 記事。



「チャップリンの暗黒面」と題されたタイ語記事を日本語に訳すようChat GPTに指令を出すと、サイトのルール違反となる恐れがあるとして、拒絶された。重ねて質問すると以下のような説明があった。


The warning you received may not necessarily be about copyright violations, but rather about generating content that could be harmful, false, or offensive to individuals. OpenAI aims to maintain ethical and responsible AI use. If you have questions or concerns about specific content, it's best to reach out to OpenAI directly for clarification on their policies and guidelines.


記事全文の翻訳は著作権侵害の可能性が出てくるので、依頼を拒否されることがあるが、そう言う理由ではないらしい。


このタイ語の文章は、出典(英語記事)を明記したちゃんとしたものだし、チャップリンの性的放埒、特に、少女好みは、映画史的な定説となっていて、裁判にもなり、元妻の暴露本も出版されている。


こういう微妙な言論の分野でも、AIが機械的な採決権を持つようになれば、言論の自由はかなり窮屈な事になるのではないか。


以下、もう一度、件のタイ語記事。終わりに英語の参考文献が明記してある。タイ語は読めるので訳させる必要はなかったが、Chat GPTのタイ語能力が進化したかテストしたかったのだ。



同記事を紹介した投稿は以下です。




◇クイズ・チャップリンの隣にいるこの女性は誰でしょう?



いやはやなんとも。これが99年前の写真です。女性の方も映画にもなった有名人。愛人同士、という雰囲気ですが、チャップリンの伝記などに出てきますでしょうか?


女性の方のヒントです。


1お菓子の名前 

2気の毒な犬。(これは、一字違い)

3 フルネームは関西人に呼びかけられている感じ。


では


追記 女性は8歳年上ですね。チャップリンの好みではなかったかも。芸術家として尊敬していた、ということでしょう。


以下、チャップリンの自伝より


“She never failed to affect me profoundly. Her art, although brilliant, had a quality pale and luminous, as delicate as a white rose-petal. As she danced every move was the centre of gravity. The moment she made her entrance, no matter how gay or winsome she was, I wanted to weep.”


“It was a tragedy that the speed of the old cinema failed to capture the lyricism of her dancing, and because of that her great art has been lost to the world.”


Charles Chaplin - My Autobiography pg 191




以下、解答編




◇正解、ロシア出身のバレリーナ、アンナ・パブロワでした


1922年に来日して各地で公演し、日本にバレーが広まるキッカケを作った人だそう。チャップリンより8歳年上なので、年下好みのチャップリンは彼女の事を、年上の芸術家として尊敬していたのではないでしょうか。自伝の中で、パブロワの踊りを見て感動し泣きそうになったと語り、「映画の発達がもう少し早ければ」と彼女の踊りがフィルムに残されていないことを惜しんでいます。


ヒントのタネアカシ。写真二枚目、パブロワというお菓子。写真三枚目、パブロフの犬(パブロワと一字違い)そして、ヒント三の「関西人に呼ばれたような雰囲気」というのは、例えば、関西のロシアバーの店長が、


「あんなあ、パブロワ、もうこれで遅刻三回目やでえ。もうちょっと自覚してもらわんとワシが困んねん」


と呼びかける感じですね。店長はプロ意識から、アンナ・パブロワの事を敢えて苗字で呼ぶのですな。


ではでは


追記 パブロワが「瀕死の白鳥」を踊る映像ありました。しかし、チャップリンが死ぬまで無いと思っていた映像が3分で見つかるのだから、恐ろしい時代になったもんだ。




<了>




◇「チャップリンの独裁者」(1940)映画感想文



冒頭に挙げた動画は、「独裁者」エンディングの、かの有名な、反ファシズム陣営の結束を呼びかける、「床屋の大演説」シーン。この演説は、お題目、綺麗事の空疎な言葉だろうから、あんまり響かないだろうな、と思っていた。


※動画は全てチャップリンの著作権管理者の公式サイトから


冒頭の戦闘シーンのギャグも古くなっていて、テンポがたるく、あまり笑えない。だいたい自分は、チャップリンのホボーの、あのわざとらしいカマトト歩きがあまり好きではないのだ。当人がやっている分にはまだいいが、その亜流(例えば萩本欽一)が真似てやったりすると、気持ち悪くて見ていられない。これは全部見るのが大変かな、と思いながら、鑑賞を始める。


が、チャップリンが、ヒトラーの形態模写の偽ドイツ語(トメニア語)を駆使して、「自分は平和主義者である!」と威丈高、攻撃的に訴える演説を始めるあたりから、俄然スイッチが入り面白くなった。


以下、ヒンケル総統の演説シーン。



この映画を見る前に、ヒトラーとナチス関係のドキュメンタリーを幾つが見て気づいたが、現実のヒトラーの髪振り乱した演説、シャチコバッタ歩き方、ナチス流敬礼の時の気取った手の動き、誇張と極論に満ちた演説の言葉、等々、ああいうもの自体が滑稽で、現代の我々には既に「ギャグ」に感じられるのですね。なぜそうなったのかと考えると、おそらく、このチャップリンの「独裁者」が、ヒトラーを徹底的にバカにし、洒落のめし、裸にして解剖した上で、独裁者の哀れな内実を曝け出して見せたからなのだ。「独裁者」以降、チャップリンの亜流たちが、入れ替わり、立ち替わり現れ、この最悪、最恐の独裁者を、バカにし卑下することが、コメディアンの一つのルーティーンとなった。だから、次世代以降の人間にとって、ヒトラーの顔つき、喋り方、身振り、話法そのものが、条件反射的に、軽蔑と嘲笑の対象となったのである。そこに思い当たった時、「チャップリンは凄い!」と改めて思うのだ。


以下は、ギャグに沿って映画を見ていくべきだろう。「独裁者」はつまるところ、チャップリンのギャグと芸を見る映画なのだから。


○戦争大臣へーリングの胸一杯につけている勲章をヒンケル総統がむしるギャグ。ナチス空軍の大元帥ゲーリングの勲章好き、肥満した体を皮肉っている。


◯ちなみに、ヘーリングの Herring は、Red Herring のへーリングだろう。いつも総統に役に立たないポンコツ兵器の情報ばかりあげている人なのである。ゲーリングは、イギリスを空から屈服させると大見得を切って実現できなかったし、冬季のスターリングラードへの戦略物資空輸も、できると断言して実行できず、ヒトラーの信頼を失っている。映画が作られた後の話だが、映画は、ゲーリングの将来を予想していたかのよう。


◯ガービッチ内務大臣が、雄弁術を駆使して世界征服を焚き付け、ヒンケル総統をうっとりとさせる。ヒトラーのメディア指南役で総統と並ぶスピーチ巧者だったゲッペルス宣伝相がモデル。つまり、名前にかこつけてゲッペルズにガベッジ「この屑野郎」と言っているのである。ああ、清々する(笑)


以下は独裁者と世界征服の風船のシーン



◯ガービッジに焚き付けられて、世界征服の夢を膨らませたヒンケルは、地球儀を描いた風船で、新体操みたいな優雅なダンスを踊る。風船が割れると、世界征服の夢破れたヒンケルはデスクに突っ伏してオヨヨと泣く。


◯チャップリンの「ユダヤ人の床屋」が、ハンガリア舞曲か何かの軽快なクラシック音楽に合わせて、お客の髭を剃っていく。この曲は、こういう「忙しい動きのギャグ」に使われる定番で、日本でも、トイレ掃除の洗剤のCMに使われていた。おそらく、元は、チャップリンのこれだったのだ。


以下、ハンガリア舞曲で高速髭剃りの場面


・・・とこう書いていくとキリがないのでこれくらいしておくが、もう一点は、前回までの試聴で見逃していたこと。チャップリンが戦闘機の墜落で負傷して、意識不明で病院へ運ばれてから、時間経過が新聞記事で示される。年代を補って、列挙して行くと・・・


1919年 デンプシー、ウィラードをKO

1926年 リンドバーグ大西洋横断

1929年 世界大恐慌

1930年 トメニアで暴動(ドイツが再び混乱に)

1933年 ヒンケル党が政権を掌握(ナチスの政権掌握)


と、ドイツとヒトラーの国名、人名こそ変えてあるが、そこまでの歴史を忠実になぞっていることがわかる。とすれば、最初に出てくる戦闘は第一次大戦であり、ドイツの敗戦なのだ。当たり前のことだが、恥ずかしながら、最初見た時は、そこまで意識して見ていなかった。物語の終わりで、トメニアが隣国オストリッチへ無血侵攻するのは、ドイツのオーストラリア併合を模しているのだろう。だとすれば、物語は1938年、翌年のポーランド侵攻の前に終わるのである。だから、その少し前に退院した「ユダヤ人の床屋」は、第一次大戦の終結から、第二次大戦の勃発間際まで、20年近く病院のベッドで眠っていたことになる。


つまり、この床屋は、第一次大戦の終結から、その悲惨な戦争の教訓を持って、そのまま、第二次大戦の勃発間際の世界にタイムスリップした人なのである。ベルサイユ条約も、国際連盟も、世界大恐慌も、ファシズムの台頭も知らないチャップリンの床屋にとって、20年後の世界は、いかに異様で、醜悪で、性懲りもない愚かな人間たちの世界と映ったことか!自分のような現代の鈍感な観客と違って、当時の観客は、その事を直感的に理解したに違いない。


バクテリア(イタリア)がオストリッチに進軍すると、やはりオストリッチ併合を計画していたヒンケルは激怒するが、バクテリアの独裁者ナパロニ(ムッソリーニ)を国賓として招いて、交渉によってオストリッチから手を引かせようとする。これも現実に起こった歴史的事実と平仄が会っている。従来、イタリアは、オーストリアの独立を支持してきたが、ヒトラーがムッソリーニを説得してドイツのオーストリア支配を認めさせてから、圧倒的軍事力を背景に、オーストリアに侵攻して無血併合してしまったのである。


独裁者たちのフードファイト



映画では、独裁者同士の子供っぽい争いで笑わせた後、ヒンケルは、ガービッチの入れ知恵で、単純に「嘘をつく」という幼稚かつ原始的な(しかし有効な)詐術を用いて、バクテリアに兵を引かせ、オストリッチに侵攻するのである。(「単純に嘘をつく」というのも、ヒトラーの常套手段の一つだった。)


トメニアの支配下に入ったオストリッチでは、ユダヤ人狩りが始まり、Storm Troopers(この突撃隊の英語名称も映画でそのまま使用されている)によって、自宅や路上から狩り出されたユダヤ人が、街路の清掃を強制され、歯向かうものは射殺された。これは、ナチスドイツがオーストリアを併合した後、現実に起こったことで、さすがのチャップリンもこれをギャグにはできず、珍しく、笑いの要素のいっさいない、マジなシーンとなっている。


その頃、ユダヤ人の床屋は、元高級将校のシュルツと共に、強制収容所にいた。シュルツは、第一次大戦で床屋が偶然命を救ったドイツ軍の将校で、ナチス政権下で出世して司令官の地位にいたが、ユダヤ人への度を過ぎた弾圧に抗議して解任されたのである。この頃はまだ、「ユダヤ人問題の最終解決」は実行に移されておらず、殺人に特化したアウシュビッツのような収容所は存在しなかったので、収容所の描き方は比較的マイルドなものになっている。さすがのチャップリンも、あれほどまでの残虐非道は想像できなかったのだろう。


床屋がヒンケル総統と瓜二つであることに気づいたシュルツは、床屋に軍服を着せて収容所を脱出する。この後、「王子と乞食」風の、総督と床屋の入れ替わりがあって、ヒンケル党の大集会での床屋の感動演説となるのである。このシーンの群衆は、ヒトラーがオーストリア併合を宣言するウィーンでの大集会の資料映像からとっているのではないか。当時、CGの技術もないわけだし、あれだけの数のエキストラを集めるのは不可能だったろう。


さて、最後の大演説だが、不覚にも涙が出た。「白々しいお題目だから響かないだろう」と思っていたのだが・・・。あの演説は、ユダヤ人の床屋がセリフを喋っているというより、チャップリンその人が突然そこに現れて、我々に語りかけている感じがするのである。演説の内容に感動したというよりも、あの時代に、あそこまで徹底して、ファシズムと独裁者を批判し、軽侮し、嘲笑し尽くして、観客を抱腹絶倒させながら、反ファシズムの戦いへの結集を呼びかけたチャップリンの凄まじさに感動したのだ。無力の道化師が、突然、一人の普通人の顔になり、同じく無力かもしれない民衆にむかって語りかける、その表情、目、声に示された、真っ当な危機感に感動したのである。


2年前に、ゼレンスキー大統領がカンヌ映画祭で行ったスピーチを思い出した。一介のコメディアンから瓢箪から駒が出て大統領になり、今では「戦争指導者」になってしまった、ウクライナの「ユダヤ人の床屋」は、チャップリンの「独裁者」を引きながら、世界の映画人にこう語りかけていた。


以下、Bloombergのホームページから。


“Will cinema stay silent or will it talk about it? If there is a dictator, if there is a war for freedom, again, it all depends on our unity. Can cinema stay out of this unity? We need a new Chaplin who will prove that, in our time, cinema is not silent.”


映画を政治に巻き込むな、と批判を受けるかもしれないが、映画「独裁者」のユダヤ人の床屋が、「圧政のためではなく、自由のために戦え」と兵士たちに呼びかけた時、チャップリンは間違いなく、党派的であり、一方の側に組みしていたわけだ。現に、他国の侵略を受け、防衛戦争を戦っている国の指導者としては、映画界のかつての仲間たちに踏み絵を迫るのは当然のことではないか?


この映画にはポーランド侵攻の要素も入っていると、ウィキペディアにあったが、自分には、何がそれに当たるのかわからない。スターリンを信奉していた当時のチャップリンとしては、ナチスドイツと談合してポーランドを分割した「ソ連の侵略戦争」に多くは触れたくなかったのかもしれない。これは、あくまで、自分の憶測。


ソ連はナチスの支配からポーランドを救ったと主張したが、1939年から1941年の間に50万人のポーランド人を逮捕し、6万5千人を処刑している。(戦後、随分経ってから、ロシアは、カチンの森で戦争捕虜を大量処刑したことを認めた)ポーランドで300万人のユダヤ人を殺害してナチスに比べれば、もちろんマシなのだが、これが「救った」と言えるだろうが。



この映画で、ヒトラーに対抗する「自由と民主主義を守る戦い」への結集を呼びかけたチャップリンは、その7年後には、「正義の戦争」の偽善を批判して、戦争そのものを根底から否定する映画「殺人狂時代」を作るのである。所ジョージではないが、す、ご、い、で、す、ねー。


やっぱりチャップリンは天才。


ではでは

コメント


カテゴリー
bottom of page