不定期テレビ日記(2025年10月)①〜高市総裁アジア初の女性平民宰相に?監視カメラに小さな白い人影・・・etc
- somsak7777
- 10月8日
- 読了時間: 15分
更新日:10月10日

2025年10月1日(水)
「ジジイサバイバーの文化的な最後の砦はネットと音だ」・・・と、最近そう思っているので、朗読ソフトに詩を読み上げさせて、どのくらい完成度が高いか試している。目が悪くなって、そのうち、本は読むのではなく聞くことになるのだから、その下準備。ま、そこまで長生きしたら、の話だが。
今、試用している「音読さん」は、一般的な文章を読み上げるための簡易ソフトで、機能もあまりないので(スピードと声の全体的な高低しか調整できない)、限界があるだろうと思っていたら、「なおき」という男性の声を選んで、スピードを気持ち落とし、音程をさげると格段に良くなった。イントネーションもほぼ完璧。サイトに登録して、色々、試行錯誤しているうちに、アプリのAIが自動的に学習したとのかもしれない。AI恐るべし!
以下、完成版。誇張ではなく、ほぼ、本職のナレーターと遜色がないと言っていいのではないか。
参考
「音読さん」のサイト
「音読さん」に八木重吉の短詩を朗読させてみた
2025年10月2日(木)
先発山本の好投、クローザーとしての佐々木の復活で、ドジャースがワイルドカードを勝ち抜く。大谷も一打点をあげた。10月いっぱいはこれで楽しめそうだ。
自民党の総裁選は、小泉進次郎でほぼ決まりのよう。文春の「スクープ」した話だが、党籍を抹消したのが参院選前の話だから、今回の総裁選と直接関係ないだろう。高市を応援する保守系のネットメディアが騒いで大きくしようとしているが、大勢に影響はないと思う。事務的なミスという言い訳で、通るのではないか?
ネットの討論会で、ひろゆきが、総裁候補者に英語で質問に答えるように迫っていた。が、ひろゆきの英語自体がおぼつかないので、あんまり迫力なし。英語で答えた茂木、林は、完全に日本人英語。読み書きは上手いのだと思うが、英語で咄嗟に文章を構成して話す能力に欠けている。発音だけではなく、話す英文にキレがないのである。留学経験のある高市、小林、小泉も似たようなものではないか。やはり留学経験のある、タイのペートンターン前首相の英語も似たようなもので、日泰の国民は英語下手なのだ。この辺り、西欧の植民地支配を経験しているフィリピン、マレーシア、シンガポールなどの政治エリートとは随分違う。
2025年10月3日(金)
おすすめに出てきたものをたまたま見た。
現沖縄人の琉球諸島への移住が比較的最近なのに驚いた。10世紀から12世紀にかけて、九州から大移動した現在の沖縄人は、農耕と金属器と古墳を島に持ち込み、採取、狩猟で生活していた沖縄先住民と「置き換わった」・・・と、そういうことらしい。大和民族の圧迫により移住した現在の沖縄人は、先住沖縄人を制圧、吸収することで、ところてん式に琉球諸島に定着したというわけである。
この動画が正しいならば・・・という留保付きだが、現在の沖縄の民も原・原住民の視点からすれば、「ある種の侵略者」だった可能性はあるわけだ。
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明日は自民党総裁選の投票日。下馬評では、小泉、高市の決戦投票で小泉が勝つ。流石に旧政権の中核だった林官房長官はないだろう。
高市は、極右というほどでもない中道保守の政治家で、産業政策や安全保障の政策通だが、無意味な保守イシュー(靖国参拝、女系天皇反対、風武別姓反対などなど)に縛られているのが気に食わない。小泉が首相になって、総裁選の候補者全員を閣僚入りさせた方が、良いように思う。
しかし、自民党の「解党的出直し」とかいうやつはどうなったのか?最初からピンと来なかったが、もはや総裁選の争点ではなくなったようだ。竜頭蛇尾?・・・というか、最初から言葉だけで、額面通り受けて止めていた人は少なかったのではないか?ここで一句、
腐っては食えぬ鯛など解凍し 万斛
本当はこういうこと?
裏金をチン!解凍し出し直す では太
お粗末!でも東京新聞の川柳欄よりはマシではないか?川柳はアジビラではないのである。
2025年10月4日(土)
移民に関しては、アメリカは特殊な国、だが、代々の大統領が踏襲してきた、移民のもたらす多様性を是とするこの理念は美しい。トランプは、どういう国の基準に照らしても下等なことを言っている。(だいたい犬を食って何が悪いのだ)日本はこの上等と下等の中間を行くべきではないか。美しい理念を追いすぎると反動が怖い。劣情に流され、差別して気持ちよくなるのは、バカすぎて自分が情けなくなる。
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なんと、高市総裁が誕生した。日本初の女性首相になるのだろうから、おめでたいことはおめでたいのだが、この人を応援している連中がイマイチなのよな。(高市が首相にならなければ日本が終わる、とか、そういうことを言うヤツ。そんなはずないだろうに)それから、高市氏には、もう少しポーカーフェイスで喋ってほしい。あの、旅行添乗員みたいな感じでトランプを迎えると、トランプが面食らうと思う。一方で、参政党とか、日本保守党とかいうトンデモ系極右の伸張の余地が狭まるという意味では、良かったのかもしれない。トランプも一昔前にはイロモノ扱いだった。その頃、トンンプが大統領になる、などという人がいたら、大笑いされていたろう。日本人は、アメリカ人よりも賢明だと思うが、同じことが日本で起こらないとは限らないのだ。
うわ、テンパリすぎでしょう。大丈夫かなこの人、やっぱり小泉の方が良かったな、余裕があって、体力もありそうで。もう、顔がダメ。プレッシャーで憔悴している感じ。呂律も回っていない。多少政策に詳しい、とか言うよりも、イメージの方が大事だと思う。国際会議で、こういう表情を見せたら、他国の首脳は、「この人大丈夫なの?まともな判断を下せるの」と言う印象になる。やばいよこの人は。中川大蔵大臣の酩酊会見以来の衝撃。
顔占い、心身のバランスを崩して「高市政権は短命に終わる」。
しかし、この感じ、本人にとっても総裁就任は意外だったのかな?進次郎を幹事長にすれば、なんとなくバランスが取れるかもしれない。以上、居酒屋でしゃべれないので、フェイズブックに投稿しました(笑)ではでは
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うーん、やっぱり、この人の表情は異様(あの無意味で職業的にオートマティックな微笑)なんか自意識のあり方が異様、という感じがする。他の人は誰も感じないのだろうか?不思議。話していることはまともなのだが。
でも、記者会見ではだいぶ持ち直して、勝利会見での、あの憔悴して、呂律も回らない感じはなくなった。「職責の重みを本当に感じている」という好意的な見方もできるから、ご祝儀の支持率アップはかなりあるかも。
しかし、考えてみると、この人は、初めての女性首相になるとともに、「平民女性宰相」でもあるのだな。アジアの女性宰相は家業を世襲する場合がほとんどなのだが、その意味では応援したい気持ち。そこに思い至ると、総裁選出後に見せた、プレッシャーに耐えるギリギリの表情も、ある意味、理解できる。「あの特殊世界で生まれ育った人ではないのだな」・・・と、そう好感を持った日本人も多いかも。
2025年10月5日(日)
ジム・キャリー
「アメリカ人は騙されている。リアリティショーが、ヒーローの意味と真実を捻じ曲げてしまった」
もちろんトランプのことだが、なぜこの人が、多くのアメリカ人のヒーローとなったのか、マジでようわからん。毒舌芸人は時折いい人ぶって点数を稼ぐが、トランプはそれさえしない、垂れ流しっぱなしのダーティーヒーローという感じなのだ。その開き直りが、自分の中にある下劣なもの全てを正当化してくれる存在として、小気味よいのかもしれない。そして、その下劣さを批判されると、偽善、嘘、Deep State やら何やらの陰謀・・・というレッテルを貼るだけなのだから、特に頭を使う必要もないわけで、トランプは、多くの人にとって、自分を全肯定するための安上がりなツールなのかもしれない。
アメリカ人を理解できないのは、ほぼ、アメリカに行ったことがないのだから仕方ないとして、日本で、トランプを信奉する人がいるのが不可解だ。安倍元首相の影響かもしれないが、安倍氏は、日本の首相として、トランプという現実に対処していただけだろう。アメリカというのは、日本にとって、そういう圧倒的な存在なのだから、それは、それで仕方ないとも思うが、ゼレンスキーみたいな行き方の方が、もちろん、格好はいいのだ。ゼレンスキーは、戦争当事国の大統領であり、トランプと対峙する時の切実さ、切迫度も、全然違うから、「格好いい」などとは言うべきではないけども、やはりそう感じるのである。
だいたい、アメリカファーストと、日本ファーストは両立しえないのだから、日本ファーストを掲げる人にとって、トランプは味方ではありえないはずなのだ。トランプ関税でそれがはっきりしたのに、彼らは、まだ、トランプを信奉しているように見える。では、現実の利害ではなく、トランプの考え方を見習っているのかというと、トランプのアメリカファーストは、超大国だからできるワガママ放題なのだから、日本の参考になるはずもないのだ。移民の問題にしても、毎日、国境を超えて移民が入ってくるアメリカと日本とは、全然、状況が違う。彼らが信奉しているのは、良識的なこと常識的なことと真逆なことを言い放って、「あなたは騙されてる!」と現状に不満を持つ大衆を惹きつける、トランプの大衆操作術の方なのだろう。
参考「ジェンダー平等の進む台湾」
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Facebookにこう書いた。
He is right. How will the people be able to decide this, other than based on their emotions? The referendum won’t serve well for this kind of issue, which requires the coolest heads and the best expert knowledge to seek national interests while avoiding escalation.
カンボジアとの国境紛争について、現政権が国民投票に判断を委ねようとしている。タイとカンボジアの間には、双方が領有を主張する地域で一方的に現状を変更しないというMOU、覚書があり、これが、紛争をエスカレートさせない安全弁になっている。ところが、ここのところの武力衝突で愛国世論が沸騰して、この覚書を破棄するべきだという主張が優勢になっているのである。国民投票はこのMOUを破棄するかどうかについて行われる。左の記事では、本来、国民世論に冷静を訴えて、高度な政治判断をすべき政府が、判断を国民に丸投げしようとしていることに対し、プラチャチョーン党のナタポン代表が、「政府は国民に責任をおしつけるべきではない」と正当な批判を述べている。
一部のタイ人は、国際司法裁判所の判決でカンボジアに帰属が決まったプレアビヒア寺院まで、武力で取り返せると思っているようだ。戦力的にはやれないことはないだろうが、人的、経済的被害、再占領後の制裁、国際的な非難、孤立化を考えると、やるメリットは薄いのである。タイは、国際司法を無視して横車を押すことができる中国のような大国ではないのだ。タイ人は、ちょっと日本人と似ていて、井の中の蛙的に自国を過大評価する傾向があるように思う。
2025年10月6日(月)
日本人ならすぐわかるけど、大谷翔平は、先輩に対するこの最敬礼を、半分冗談でやっているのですね。アメリカメディアが、毎回、真に受けて、「日本人は本当に礼儀正しい」とやっているのが笑える。
いやあ、しかし、昨日は危なかった。サンチェスの調子も良かったようだし、2回に3点取られた時は、負けるんじゃないかと思った。大谷がその後はピシャリと抑えたのはさすが。
現代のベースボールは、先発投手が、長くても6、7回しか投げないというのがミソで、どんなにいいピッチャーが先発て出てきても、ある程度の点差に抑えていれば、後半、逆転のチャンスはある。だから、ああいう粘りのピッチングが、クォリティスタートという形で評価されるのだと思う。
今日は試合なし。なぜ、連戦しないのか?なんか勢いが削がれる感じ。
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高市早苗、母親は警察官、父親は某大手自動車メーカに勤めていたそう。アジアの女性宰相で、家族的なバックグランドのない「平民」の出身者は、彼女が初めてかもしれない。(まだなっていないけれど)それとも他にいましたかね。あ、蔡英文がいたか?だとしたら、台湾は、素晴らしく先進的な社会を、アジアで、日本に先んじて作り上げたということだと思う。
追記 Wikを見てみたら、蔡英文の両親は、政治的なバックグラウンドを特に持たないようだが、客家出身の豪商の家柄だということ。ごく普通の一般家庭の家に生まれたという意味では、高市氏がアジアで最初の、女性平民宰相になるかもしれない。
参考「ジェンダー平等の進む台湾」
2025年10月7日(火)
CDCによると、今年9月24日時点で、アメリカでの麻疹の発生件数は1554件、2000年にアメリカ政府が麻疹の撲滅宣言をしてから最大の数字だという。
ロバート・ケネディ・ジュニアのワクチン陰謀論が一部のトランプ支持者に浸透した結果・・・かな?少なくとも投稿者はそう言いたいようだ。
しかし、一方で、トランプは、前の政権時に、コロナワクチン接種をハイスピードで実施したことを (Operation Warp Speed)、自らの「偉大な功績」として自賛しているのである。わけわからん。
因果関係が本当にあるのかは「?」だが、あの政権の支離滅裂ぶりでは、そう思いたくなるのも無理はない。
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マティチョン見出し、「タイ社会の右傾化に鳥肌、かつての10月14日、10月6日学生運動家が、国粋主義を煽る現実!」
タイの朝日新聞「マティチョン紙」が、現役「民主活動家」の旧「民主活動家」への批判を取り上げている。要するに彼らは、リベラルリスト、民主主義者というよりも、歴史のある時期、ある事情によって存在した「旧左翼」というに過ぎないのではないか。
ある著名な旧学生活動家が、現在の中国の体制を無批判に礼賛しているのを読んだ時も(「我々が言った通りだ、中国は経済大国になったろう・・・」云々)、同じことを感じた。こちらは、おそらく大陸中国系タイ人のビジネス左翼であり、国粋主義を煽っている旧民主活動家とは、反対の極にいるのだろうが、現代のリベラル、民主派とは大きなズレがある点は同じである。これは、中国、ロシア、ベトナムといった共産主義のヒーロー国家が、思想的、道徳的影響力を失ったことと無縁ではないだろう。台湾と中国の位置付けの逆転が、それを雄弁に物語っている。
2025年10月8日(火)


One of our security cameras caught something strange — a white figure in our garden. 5555 Maybe a ghost?
Consecutive theft cases in and near our village forced us to set them up on all four sides of our small house. Twenty years ago, we never thought something like that could happen here. Drug abuse is the main reason for the increasing theft. Very sad situation.
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取材者の特権的立場なんて認められない時代になった(笑)面白いが、ちょっと気の毒。そりゃ、政治的偏見はあるでしょ、人それぞれに。公言したわけではなく、内輪の会話で話しただけだし。しかし、誰かのことを暴いていれば、自分のことも暴かれる時代になったのだ。そして、建前としてのメディアの正義、役割なんて、頭から信じない人が、これから、ますます増えていくのだろう。このカメラマン?の人は、日本社会のアメリカ化、MAGA化=BAKA化に、少し貢献したようだ。
ところで、読売新聞の総裁選情勢調査、これは酷かった。この調査では、党員・党友票でも、進次郎が高市を大きく引き離していたことになっていた。読売は、他社が持っていない党員名簿を持っているので、調査結果が正確だという触れ込みだったのだ。いったいどうなっているのか。読売は釈明した?こう言うのを見ると、マスコミが信頼を失うのも仕方ないなあ、と思ってしまう。小泉支援のための謀略情報と勘繰られても仕方ない。
2025年10月9日(木)
以下、ある映画サイトに投稿したもの。
産経新聞記事から
追悼ロバート・レッドフォード氏 映画宣伝の神様古澤利夫が伝説の邦題に込めた思い
「明日に向かって撃て」「大統領の陰謀」、この頃は、よく考えられた邦題が多かったと思う。ところで「明日に向かって・・・」は、タクローが真似をしたのか、邦題の発案者がタクローの真似をしたのか?時系列を調べればすぐわかるが、あえて調べない。他にも「突破口」とか「弾丸を噛め」とか印象に残る邦題がいくつもある。後者は英題の直訳だが、英熟語の勉強になった。
英題をそのまま使うようになったのは「エクソシスト」とか「オーメン」とか、あのあたりからではないか?二つとも、簡単に邦題に直せそうな英語タイトルなのに(あちらの英語タイトルは、訳のわからない人名とか、そのままでは日本で使えないものも多いのだ)、あえてそのまま使ったのは、明らかに意図的にそうしたのだと思う。オーメンはまだしも、エクシシストとか、当時なんのことかわからない。映画がヒットして、エクソシストはほぼ日本語になり、海原千里万里が、「海原千里です、万里デス、エクスシストです」とネタに使うまでに浸透した。配給会社は冒険して賭けに勝ったのである。
ところでロバート・レットフォード 合掌
自分はやはり「大統領の陰謀」が印象に残っている。あと「スティング」かな。
ではでは
2025年10月10日(木)
◇ADO「心という名の不可解」ライブ
ADOをよく解説しているボーカルコーチが、大阪万博での「風のゆくえ」のライブ歌唱を批評して、perfectly imperfect と褒めていたが、このライブは、自分は、「ちょっとやり過ぎ?」と思った。しかし、ライブで聞いている観客にとっては、そのやり過ぎ感さえも、perfectly imperfect だと言えるかもしれない。ADOの場合、一番は、スタジオバージョンに寄せて歌って、2番以降を崩す事が多いのだから、おそらく、意識的にやっている。すごいとしか言いようがない。
もう一つ思うのは、我々がライブ映像として見せられているものと、コンサートで実際に聴く音とは、普通はかなり違うものなのだということ。
自分は、これまで、音楽のコンサートに一回しか行った事がない。大宮の公民館かどこかで開かれた吉田拓郎のコンサートだったが、そのとき、拓郎の声が、バックバンドの大音響に消されて、貧弱に、か細く聞こえ、失望したことを覚えている。「コンサートよりレコードで聞く方がいいな」、と当時、思ったものである。
ところが、最近、ADOのリアクション動画を見ていて知ったのだが、「ライブ映像」として、我々が見せられるものは、様々な修正が加えられ、音程の狂いなども矯正されたクリーンアップバージョンであることが殆どらしいのである。一方、ADOのコンサートは、そのような事後的な修正がない「本物のライブ映像」らしいのだ。これは、音を聞くプロたちの共通して指摘するところなのである。
また、ADOの歌は、構成上、セルフコーラスを使わないとスタジオバージョンを再現できない場合が殆どなのだが、ADOは、コンサートでセルフコーラスが入る部分では、マイクから口を離して録音であることを明示する。口パクで誤魔化そうなどというケチな了見はないのである。この辺りの潔さも、ADOのコンサートが高い評価を受ける理由ではないかと思っている。
例えば、下がその一例、
おまけ、ボーカルコーチChris Liepe、の解説。
不定期テレビ日記(2025年10月)①了
→不定期テレビ日記(2025年10月)②へ









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