【再掲】タイ保健ボランティア制度が生まれるまで〜あるエリート官僚の回想(医療雑誌 HFocus のインタビューから)
- somsak7777
- 9月14日
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By Hideki AKIYAMA
※以下の記事は、2021年6月2日に投稿された。タイの保健ボランティアは、コロナ流行の当初、ウィルスの情報提供、手洗い、マスク着用の奨励、検温、感染者の早期把握などに活躍し感染拡大の阻止に貢献した。多くは高齢者からなる、地域に密着したボランティアたちが、地道な努力によってコロナウィルスによる被害を最小限に食い止めたと思われたのだ。WHO、世界保健機關はタイの保健ボランティアを「名もなき草の根のヒーローたち」と称えさえした。
しかし、ウィルスの現実は残酷だった。ミャンマー人労働者が多く住むバンコク南郊の港町からコロナの感染第二波が始まり、その後、新型ウィルスは莫大な被害をタイにもたらすことになる。感染爆発が起こった港町・マハチャイのあるサムットサーコン県は、タイで初めてマスクの不着用に罰金を課した自治体であり、簡易検査を導入して迅速な感染状況の把握に努め、外国人労働者を保健ボランティアに組織する試みを進めていてた。当時、これらの取り組みは「サムットサコーンモデル」と称賛され、コロナ対策の模範とされていただけに衝撃は大きかった。
結果として、気まぐれなウィルスの猛威に苦杯を舐めることにはなったが、タイの保健ボランティがコロナ流行初期の感染拡大阻止に貢献し、現在でも、タイの保健医療の向上に大きな役割を果たしている事に変わりはない。ここでは、保健ボランティア制度の父とされる、あるエリート厚生官僚の生涯を取り上げ、本人のインタビュー記事をもとに、今や世界に冠たる医療ボランティア組織となったタイ保健ボランティアの設立までの道のりを振り返っている。










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