【再掲】演歌は音階を弾けば簡単に作れるのだ!〜「赤色エレジー」に「美しき天然」を重ねてみた。
- somsak7777
- 12月3日
- 読了時間: 4分
更新日:12月6日
1972年(昭和47年)に発表された四畳半フォーク「赤色エレジー」のメロディを1902年(明治35年)作曲の「美しき天然(天然の美)」に重ねて演奏させてみた。どうしてそういう事をしたかは、後ほどわかります。
なんと、70年の時を経て、重ねて演奏しても殆ど違和感がない。
以下は歌詞のあるバージョン。「赤色エレジー」のメロディーは16小節しかないので、後半は歌詞を補った。オリジナルの歌詞ではなく、自分で作詞して「美しき天然」のメロディに乗せた創作唱歌の歌詞である。
「美しき天然」を「赤色エレジー」の伴奏として使っても全く違和感がない。後半部分も綺麗に繋がって、もともと一つの曲だとしても、すんなり通る感じ。
こんな事を私が独創で思いつくはずもなく、種明かしは、昭和歌謡界の鬼才、大瀧詠一が30年ほど前にやった実験を真似しただけなのである。
上の動画はあるラジオ番組の音声録音。大瀧は、「美しき天然(天然の美)」(田中穂積)、大正期の「船頭小唄」(中山晋平)、昭和初期の「影を慕いて」、戦後の「悲しい酒」(古賀政男)を同時に演奏させて、明治から昭和に至る演歌の系譜を実証してみせた。これを聞いた時には感動したなあ。どうです、4つの曲を並べて演奏しても、一つの楽曲のように聞こえるでしょう。
※大瀧が「少しの音楽的素養があれば」と繰り返し述べているが、その「基礎的な知識」とは「ヨナ抜き短音階」のことだろう。朝鮮半島の音楽にも影響を与えたとされれる日本演歌独特の作曲作法に関しては、以下のノートが詳しい。
ちなみに、この「ヨナ抜き短音階」を使って、音階を上り下りすれば、ズブの素人でも、演歌の作曲はできる。下が、この講座に触発されて作った演歌的唱歌。歌の良し悪しは別にして、それなりに「演歌」として聞こえるのだから、音階は不思議だ。当たり前のことなのだろうが、ズブの素人の自分にはそう感じられる。
ちなみにこれが長音階となると、がらりと曲の雰囲気が変わって、曲調は陽気で楽天的なものになる。下は、上の演歌的唱歌を長調に変換したもの。今や、作曲ソフトを使えば、ワンクリックで変換ができる時代である。
どうです。何か、ほろ酔い加減でワルツでも踊れそうな曲に変わるでしょう。こうなると、歌詞を新たに書きなおさなければならなくなりそうだ。
話がずいぶん傍にそれた。
自分は演歌の名曲に特別の思いはなく、大瀧詠一のこの講座を聞くまではよく知らなかった。強いて言えば「美しき天然」を「サーカスの歌」「ジンタ」として認識していたくらいだろうか。佐世保海軍の軍楽隊隊長・田中穂積が作曲したこの歌は、レコード産業が発達していなかった明治期、巷を流して歩く演歌師によって全国に広められたのだそうだ。大瀧によれば、この「美しき天然」(天然の美)のメロディーが日本演歌の源流となった。
以下、大瀧詠一の「日本ポップス伝」1995年版。この年、貴重な音源を紹介しながらの約一時間半の講座が五夜に渡って放送された。今、聞き直しても、このラジオ講座は、日本歌謡史の最高の教科書だと思う。この講座をYouTubeで聞かなければ、好きでもない演歌の起源なんかに全く興味がなかったろう。
大瀧詠一には、長生きして、現代のボカロ世代の歌手たち、とりわけ、天才ADO の評価なども語ってもらいたかった。惜しい人を早く亡くしたものだ。
「日本ポップス伝1」
「日本ポップス伝2」
「日本ポップス伝3」
「日本ポップス伝4」
「日本ポップス伝5」
最後に、遊び心にあふれていて、妙にかっこいい、大瀧詠一の「ハイカラハクチ」。大瀧詠一作曲、松本隆作詞。蛇足だが、ハイカラハクチは「肺から吐く血」と「ハイカラ白痴」をかけているのである。だからこの曲は、肺から血を吐いて中野の結核療養所に入院したことのある自分には、親しみ深い・・・てなことはないか(笑)
大瀧詠一は2013年に亡くなっている。享年65。
合掌、ではでは。
<了>
参考・使用ソフト
Sinsy
ぼーか郎
楽譜制作ソフト











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