top of page

映画「ラングーンを超えて」(1985)を思いだした

  • somsak7777
  • 2021年4月16日
  • 読了時間: 2分


ラングーンを超えて(1995年)


ラングーンとは現在のヤンゴンのこと。ミャンマー(ビルマ)の実質的な首都である。(この当時は名実ともに首都だった) 映画は、1988年のビルマ民主化運動と軍による血の弾圧を、アメリカ人旅行者の目を通して描いている。公開時にビデオか何かで見たはずなのだが、完全に忘れているのでWikiで粗筋を確認してみた。


息子と夫を強盗に殺されて精神的なトラウマを負った中年女性が、ツーリストとして訪れたビルマで騒乱に巻き込まれ、民主活動家と共に軍の弾圧から逃げ回る中で、新しい人生の意味を見つけていく。そういう話だった。どうやら、ビルマ情勢は刺身のツマで、あちらの女性の「自分探し」が中心となるストーリーに腹を立て、映画を記憶の隅に置いやったらしい。劇映画だから面白く見せるためには仕方ないのかも知れないが、「家族が強盗に殺された」という設定は安易すぎないか?女性の「その後」を伝えるエピローグのご都合主義にも口あんぐりだった。ある種の西洋人が抱きがちな自己実現の白昼夢。


段々思い出して腹が立ってきたが、この映画、「実話に基づく」とかなんとか、目眩ししているが、それはビルマで起こったことが歴史的事実であるという意味で、女性のストーリーや物語の細部はフィクションなのである。あざとすぎないか?うろ覚えの採点だが 7/10。


と、いろいろ批判的なことを書いてきたが、現在のミャンマー情勢を理解するためには見る価値のある映画ではないか。スーチーさんがまだ西側のアイドルだった時代の映画でもある。要は、一部の軍人の無知と貪欲のために、ミャンマーは、この映画で描かれた30年前の暗黒の時代に戻ってしまったのですね。そして、現在の弾圧の非道さ、残酷さを見るに、これはもう狂気としか言いようがない。おそらく、この映画で描かれたよりも残酷な事が今、彼の国で日々起きているのではないか。


ではでは

Comments


カテゴリー
bottom of page