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タクシードライバーのラストについて~LOOPERの記事より

  • somsak7777
  • 2021年9月24日
  • 読了時間: 3分


タネアカシあり。


インターネット誌に映画「タクシードライバー」(1976)のエンディングに関する記事があった。オリジナル脚本を書いたポール・シュレイダー(映画「Mishima」などの脚本家、映画監督)にも話を聞いている、よく取材した記事である。


トラビィスは生き残ったのか、否か、という議論は、公開当初からアメリカでもずっとあって、要は、ヒーローになったトラビィスのエンディングの、颯爽と昔振られた女を振り返すところは、彼がイマワノキワに見た幻想だという説ですね。私も、この説に近い感覚を持っていて、物語のどこかから、映画は主人公の見た幻想に入っていくのだろうと思っていたた。というのは、ラストの描き方がヘンなのですね。言い方が変ですが、なんか空間が歪んでいる感じがする(笑)


トラビィスという人は、ヒーローになるタイプのキャラクターじゃ無いのですね。むしろ、シリアルキラーになるキャラだろう。この映画のラストから私が連想するのは、テッド・バンディという有名な連続レイプ殺人犯。コリン・ウィルソンの「殺人百科」を読むと、バンディのエピソードでこういう風なことがある。


バンディがハンサムで有望な民主党の選挙スタッフだった頃、ある女性と付き合っていたが、その女性はバンディに「男として成熟していないものを感じて」バンディを振る。バンディが何人も人を殺した後、二人は再会し、女性はバンディに「成熟した男の魅力」を感じて一夜を共にする。その後、連絡して来ない男に不審を感じて女性が電話をかけると、バンディは「君が何を言っているのか僕には皆目わからない」と言って電話を切ったというのですね。


コリン・ウィルソンは、「バンディは犯罪を重ねることで、<ある意味>成長し、男としての自信と落ち着きを身につけ、かって自分を袖にした女性を征服した上で弊履のごとく捨て去ることによって自己実現を果たした」みたいな事を書いていた。これが、歪んだ犯罪者の心理である事は疑いないが、バンディとトラビィスの共通した異常心理のように思われるわけだ。


てっきり、バンディの事績をヒントにしたなと思い、何でも書いてあるウィキペディアで時系列を確認してみたら、これは、ちょっと微妙ですね。バンディが強姦殺人、逮捕、脱獄を繰り返したのが1970年代、映画の公開が1976年だから、脚本執筆当時に、どのくらいバンディの伝記的情報が明らかになっていたか疑わしいところだ。私の単なる思い込みかもしれない。


さて、引用した文章に戻りますと、結論を言えば、脚本を担当したポール・シュレイダーは、エンディングを幻想シーンとして書いていないと言ってるのですね。見た人がどう解釈してもいいとも言っていますけども。またロバート・デニーロがタクシー・ドライバーのパート2を提案してきた時には「馬鹿なことを言うな、トラビィスはあの映画のラストから半年後には同じような事をやらかして死んでいるような奴だぞ、続編なんかできるハズはない」と答えたと書いています。


脚本家がそう言っているのだから間違いないようなものだが、監督のスコセッシはどういいうつもりで作ったのだろう。そう思わせるほど、あのエンディングは、何か唐突なような、ヘンな印象を残すのだが・・・


ではでは


参考

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